再現された神屋宗湛邸茶室の庭、朝鮮征伐時に持ち帰った貴重な火炎燈籠
博多の豪商「神屋宗湛」は豊臣秀吉と非常に近い関係にあった商人で、秀吉の側近として九州仕置きや朝鮮征伐などを資金面から支え兵站を担うなど重要な役割を果たし、太閤町割りによる博多の復興にも貢献した博多の実力者。また千利休や豊臣恩顧の武将達とも広く交流を持ち、博多にあった屋敷には多くの戦国武将が訪れたそうです。
そして現代、時は過ぎ…諸行無常。まさか博多にあった屋敷の茶室、その庭が天神のビル内、それも3階に復元されるなんて思いもしなかったでしょう。神屋宗湛の茶室の名は「吹毛軒」、利休からもらった利休自作の花生の銘「吸毛(すいもう)」にちなんで名付けられたという。
当時の茶室と言えば外交・政治・商談の場でもあった事から、豊臣秀吉から様々な相談が持ちかけられたのだと想像できます。
この茶室には織田有楽斎(織田長益、織田信長の弟)や石田三成などが訪れ、かつて石田三成が腰かけたという「三成の腰掛石」なんかも茶室の入り口にあったそうです。長く大切にされていた茶室は昭和11年に国宝に指定されるも、昭和19年の博多空襲にて焼失。戦火を逃れた貴重な遺構は、天神のヒューリック福岡ビル3階に中庭としてひっそりと再現されています。
中庭がある天神ヒューリックビルは、新天町商店街の大時計から北へ。
アーケードから一歩出たら、すぐ脇にあるビル。
このビルの3階にあるということなので、早速見に行ってみましょう。
このビルも随分前に建てられたビルねすねぇ、1959年だから相当なレトロビル。このビルも実は見どころ満載なのかもしれない。
エントランスを抜け、エレベーターで4階へ向かいます。えっ、3階じゃないの?と思うかもしれませんが、3階から見る事は出来ません。
というか、そもそも見せる気が無いんでしょうね、せっかく貴重な物なのに…もったいない。ちなみに、3階はケーブルテレビのJ:COMが入居しています。
ということで4階の通路から見た中庭がコチラ。
左下の面白い形をした火炎燈籠や、飛び石など当時のものがそのまま残されている。豊臣秀吉もこの石の上を歩いたかもしれないと思うと、胸アツですよね。
このあたりも古そうなんだけども、何が当時のものか全くわからない。
井戸の石枠、これも古そうなんだけども…
この「火炎燈籠(どうろう)」は非常に貴重な物だそうです。この燈籠を秀吉も見ていたと思うと…なんとも感慨深いというか、当時の人でも限られた人しか目にすることが無かった一品。数百年の時を経て、人生の落伍者ともいえる私のような下賤の輩が見ているんです。凄いことですよね。
こんなのを紹介しちゃうと隣の国から窃盗団がやってきて、対馬の仏像みたいに盗まれてしまうかもしれないけども…あるいは日帝の悪行だと騒ぎ立てて、返還要求してくるか。そんな事言い出すと大英博物館なんてどうすんだよ!って話なんだけどね。
何はともあれ、こんな貴重な燈籠が天神にあるので是非もっと多くの人が見学できるようにしてもらいたいですよね。
元国宝の庭に立っていた「火炎燈籠」と茶室の遺構。いつの日か、もっと近くから見られる日が来ることを祈って今日は帰りましょう。
天神のヒューリック福岡ビル
住所:福岡市中央区天神2丁目8-49
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