観光公害なんて言葉がささやかれ始めた今日この頃、観光名所には人が多すぎて風情も何もない。なんてお嘆きのあなた、ぜひ、ぜひ、ぜひに!街歩きをおすすめします。なんと言っても観光ガイドにも載っていない、面白い街並みがまだまだあるんですよ博多には。
いいとも!で有名なタ○リさんも言ってたけども、街歩きは大人の冒険。思わぬ発見があったりして、それはもうワクワクするのです。観光地として広報されている場所もいいけども、やっぱり自分で楽しみ方を見つけるのが旅の醍醐味。飼いならされた旅行客じゃなくて、野良観光客になってみましょうよ。野良観光スキルを身に付ければ旅の楽しさが何倍にも膨らんでいきます。
博多区冷泉町というところ
博多区の観光名所「櫛田神社」
やって来たのは櫛田神社、いきなりベタなところに来ましたけども、ここはスタート地点。今回は博多区の冷泉町というところを歩いてみたいと思います。
櫛田神社の記事は「「櫛田神社」を一の鳥居から参道を歩いて参拝、博多の歴史観光スポット」で詳しく書いてます。
冷泉町は鎌倉時代に整備された博多の町でも中心的な役割を果たした地域、ここ冷泉町と上川端町、祇園といった地域が博多の中枢でした。そのため寺社なども数多く残っていて、時々残る古い建物なんかも点在している見どころ満載の地域です。
はかた伝統工芸館。
櫛田神社のお隣には、最近話題の博多織が展示されている「はかた伝統工芸館」があります。メジャーな観光名所もしっかり押さえてます、ご安心ください。
はかた伝統工芸館は「「はかた伝統工芸館」櫛田神社の隣、博多に伝わる伝統工芸品の展示館」で詳しく書いてます。
今日はこの観光名所巡りが目的でなくて、タイトルにも書いている冷泉町という場所を歩きます。この右手に伝統工芸館、左手に櫛田神社が見える通り、ちょうど写真を撮っている背中の方、東に向かって聖福寺まで続く道があるんです。
失われた風景を見て「侘び」を楽しむ
鎌倉時代に造られた博多の基準線となった道。
この道は鎌倉時代に鎌倉幕府が敷いた道とほぼ同じ場所を通る道、博多が城郭都市として本格的に整備された跡です。鎌倉幕府はこの道を基準として半町(約50メートル)間隔で街区を整備し、碁盤の目状の美しい町並みが誕生しました。
また鎌倉時代末期、この場所には鎮西探題という幕府の行政府が置かれていて、有名な博多合戦の舞台となった場所でもあります。
博多合戦については「中世博多の古戦場、菊池一族と幕府鎮西探題の戦い「博多合戦」」で詳しく書いてます。
この道の両側が冷泉町、他の都市みたいな本格的に整備された旧市街区は残っていませんが、古くから栄えた場所だけに所々に歴史を感じる建物が残っています。ちなみに博多には眼で見ながら本格的に歴史を味わえる街並みはありません、空襲と戦後の開発で失われてしまいました。なので歴史的な出来事などを調べながら、脳内で妄想して往時を偲ぶ、つまり「侘び」を楽しむ観光地ですね。
歴史の痕跡が断片的に残る不完全な古い町並み、そこから想像力を働かせる。不完全な姿を自らの知識などで補完し、自分なりの楽しみを見出す。いわゆる不完全の美と言われる精神、日本人が大切にしている想像力によって楽しむのが博多の歴史巡りです。
いきなり目の前に現れるレトロなビル。
スタートしていきなり右手にレトロなビルが見えてきました。正面のタイルがなんとも昭和です。
続いて見えてきたのは町家造りの工房。
博多祇園山笠の本場だけに山笠グッズが売られていました。
駐車場の奥にある建物、これもまたレトロです。
聖福寺に突き当たるまで真っ直ぐ続く、鎌倉時代に造られた道。両側にはレトロな街並みが残っています。
通りの角にあって、ひときわ目を引く薬局とタバコ屋。
昔は沢山ありましたよね、角のタバコ屋。昭和の象徴みたいな場所です。
路地があったので曲がってみると、ここにもレトロな建物。
寶照院の北辰妙見
少し歩くとなんだか雰囲気あるお寺と、強烈な個性を放つレトロビルが見えてきました。
開発が進む博多の中で、ポツンと残された歴史スポット。
寶照院と書かれた山門。
大きな寺院ではないけども、山門の中はまるで時間が止まっているような光景。昔の姿を今に残しています。
ここは宝照院という寺院で、元々は知楽院という祈祷所だったそうです。明治期前に無住の寺院となっていましたが、明治時代の神仏分離令により修験道が廃止。それに伴い宝満山の僧坊がここへ移転してきたとのこと。本尊は北辰妙見大菩薩、北極星を神格化したもの。脇持として大黒天尊、不動明王、神変大菩薩。詳しくは他のサイトに説明があったのでリンクを貼っておきます。
地元では北辰様として信仰を集め、火災除けの神様として祀られてきました。おかげで戦災にもあわず、この地域では火災も起きていないそうです。
境内に入ると、目の前に本堂があります。
中央に本尊である北辰妙見、脇持ちに大黒点と不動尊(不動明王)と書かれた額。
目の前に大黒様がいました。
境内に祀られた石仏と北辰宮再建碑。
再建碑には慶應元年4月吉日という銘が彫られています、西暦にすると1865年。江戸時代最後の元号、慶應の次は明治になります。
振り返るとそこには凄いレトロビル。見ごたえ十分です。
寿福院の子安観音
子安観音で有名な寿福院
宝照院を出てすぐ大通りに出たので、次は隣の路地に入ってみました。すると目の前に歴史を感じる寺院を発見。「寿福院」というお寺、安産と子育ての菩薩である子安観音を祀っています。
寿福院の由来。
寺院に掲げられていた由来によると、開基は寛永十年(1633年)とかなり古く昭和7年に三百年祭を施行したそうです。ご本尊は子安観音、安産と子育てに霊験あらたか。本堂は江戸時代、明治、昭和と何度か改築されたと書かれています。
本堂の横に建つお堂には石仏がたくさん。
本堂である観音堂の脇には十三仏を祀るお堂がありました。十三仏とは閻魔大王や不動明王など、冥界の審理に携わる仏様。死者を弔う十三回の追善供養を司る仏様でもあります。
梵字が刻まれた梵字石と石仏。
ココもまた歴史を感じるスポット、三百年以上もの昔から地域の人に崇められ守られてきた観音堂です。
寿福院の前を通る道。
寿福院の前の道も古い昔から存在している道。拡幅くらいはされていそうですが、向かいに古い町家が残るなどレトロな街並み。
レトロな街のレトロ食堂
冷泉町の自由亭。
冷泉町のレトロな街並みを堪能していると、大きな町家に遭遇。よく見てみると、自由亭という食堂です。暖簾がかかっているので現役で営業中…ということは、中に入れるんです。これは思わぬお宝を発見、もちろん中へと入ります。
中に入った瞬間、昭和の時代へタイムスリップ。
自由亭の玉子焼き。
すんごく美味しい玉子焼きをいただきました。
自由亭は「「自由亭」博多旧市街に見事な町屋のシブいレトロ食堂で玉子焼き定食ランチ」でレポート記事を書いてます。
メジャーな観光スポットもあります
博多町家ふるさと館。
櫛田神社の参道にある「博多町家ふるさと館」はメジャーな観光スポット。「「博多町家ふるさと館」口コミレポート!博多の下町レトロ観光スポット」でレポート記事を書いています。
人魚伝説が伝わる龍宮寺、博多の守護神三宝大荒神、荒神様です。
人魚の伝説もさることながら、博多の守護神として多くの信仰を集めた荒神様。詳しくは「「龍宮寺」博多の守護神『三宝大荒神社』と人魚伝説で有名なお寺」でレポートしています。
幕末の福岡藩家老「加藤司書」自刃の地、天福寺後の碑。
幕末福岡藩の家老で、尊王攘夷派の筆頭でもあった加藤司書が自刃した天福寺(現存せず)もここ冷泉町の中にありました。詳しくは「「節信院」博多の歴史巡り御供所町、勤王党を率いた志士「加藤司書」の菩提寺」でレポートしています。
櫛田神社の一の鳥居も冷泉町にあり、その奥のビルも見事なレトロビル。かなり個性的な造りなので、レトロ建物好きなら必見です。
メジャースポットも充実した冷泉町
博多の旧市街、古都博多にあってはその中心地域だった冷泉町。明治から昭和中頃までは博多駅もこの近く、祇園の地にあったため長く繁栄を続けていた場所。博多駅が移転したからは中心地が移動しましたが、それでも往時の面影をとどめた観光スポットとして人気のエリアです。
2千年ともいわれる博多の歴史、この地は古くから中心地として栄えてきました。古の人たちと同じ場所に立ち、同じ道を歩く。過去に思いを馳せ、歴史の連続性をリアルに感じられる場所。
川端商店街や櫛田神社、キャナルシティ博多、東長寺など有名観光スポットへのアクセスも良好。街歩きにおススメ。
「冷泉町」
住所:福岡市博多区冷泉町
※この記事は私が訪ずれた時のものです、現状と異なる場合があります。
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