古い物を大切にしないと言われる福岡市だけれども、博多は長い歴史を持つ街だけあって歩いていると時どき歴史を感じる瞬間があるんです。
存在感抜群のレトロビル
どこかへ向かう道の途中、ふと視線を向けた先に思わぬ光景を目にすることがあります。特に街を歩いていて古い建物や歴史を感じるものを見つけると、無性に楽しくなる今日この頃。市営地下鉄の中洲川端駅を出て、少し通り沿いを歩いていると存在感抜群のレトロなビルを見かけました。
今まで何度か歩いたことのある道なのに、こんなビルがあったのか…と思わず立ち止まる瞬間。これこそまさに街歩きの醍醐味。「へ~っ」なんて間抜けな声を出しながら見た先には「吉田陶器店」の看板、そしてその奥に掛けられた暖簾には「安政二年創業」の文字。
これお宝ビルじゃないですかっ!!
歴史を今に伝える生き証人「吉田陶器店」
新しいビルに挟まれて建つ吉田陶器店のビル
場所はちょうど中洲川端駅から地上に上がったすぐ近く、博多から中洲を抜けて天神へと続く大通り明治通り沿い。筋向いには博多座があります。周りはオシャレで大きなビルが立ち並ぶ中で、ポツンと時間が止まったような空間。昭和の面影を色濃く残したビルがありました。
一階は昔の商店街で見かけたような店構えの「吉田陶器店」というお店。
吉田陶器店の店内。
レトロな魅力に引き寄せられ、ずらりと並んだ陶器越しに店内を見てみると…奥に掛けられた暖簾に年号が入っているのを見つけます。
安政二年創業と書かれた暖簾
暖簾には丸に四つ菱の家紋と共に、安政二年創業と書かれています。安政二年といえば1855年、江戸時代の末期ごろ。安政元年は黒船で有名なペリーが二度目の来日を果たし、日米修好通商条約が結ばれた年。なので、その翌年に創業した老舗。ちょうど江戸から明治へと向かう時代の転換点、そんな年に創業したお店なんです。
鮮やかな器からシックで高級そうな器まで、様々な商品が並ぶ店内。
家の食器は全て100均かニトリという筆者に焼き物のことは全く分からないんだけど、江戸時代の老舗でレトロなお店という情報だけで、掘り出し物が眠っていそうな気がします。
ビルの柱には旧町名の住居表示プレート。
さらに注目したいのが、ビルの入り口柱に取り付けられた住居表示のプレート。 緑に白字で「上土居13番(街区)」と書かれています。この地名は古くからこの辺り一帯が土居町と呼ばれていたことに由来する地名。一説には鎌倉幕府が博多を城郭都市化した際に築かれた土塁(土居)があったからとも言われ、また別の説では袖の港と呼ばれる貿易港の波除けの土手があったためとも言われています。ここには江戸時代に大水道という水路が博多を横断するように通っていて、一説によると鎌倉時代の城郭都市の堀跡だともいわています。土塁と堀はワンセットで運用されることが多いですから、ありえない話じゃなさそう。中世博多って歴史研究が進んでいないのか素人がパッと見て分かるような情報がほとんどないんです…興味を持っても情報が無い。とても残念なことです。
土居町は博多の中心部として古くから栄えた地域で、太平洋戦争の空襲によって古い町並みは焼失。江戸時代の初期には全国的に有名な刀工「信国派」の一派「筑前信国」など、鋳工が多く住んだ地域だそうです。昭和三十年前半から昭和40年にかけて進められた町界町名改正によって町名が変更され、上川端町となりました。
古い町名が書かれているという事は、このプレートが設置されたのが昭和40年以前ということなのでしょう。ビルの歴史を伺わせます。
歴史を今に受け継ぐ貴重な建物たち
新しくなることが悪い訳じゃないんだけれども、歴史と伝統のある街は古い建物や街並みと共存が出来ると、魅力が何倍にも増すんですよね。特に観光に力を入れている昨今ですから、古くから受け継がれてきた街並みはそれだけで人を引き付ける魅力になります。博多には古い町並みが残っていないという人がいるけども、歩いてみるとまだ所々にレトロな建物が残っていたりします。探しながら歩いたり、何気なく歩いていて偶然見つけたり「おっ!これすげぇ」という発見と出会えるのが博多歩きの楽しさ。
今まで残し守ってくれた人に感謝するとともに、少しでも多くが今後も受け継がれてほしいと切に願います。
「吉田陶器店」
住所:福岡市博多区上川端町13-17
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