ある程度大きな町になれば、トレンドの発信地というかオシャレ街みたいなのができるんですよね、東京の六本木みたいに。じゃあ福岡でそういう場所はどこかというと天神になるんだけど、その中でも大名というところは個性的な路面店が多くて福岡の流行を左右するトレンド発信地なのです。
そんな福岡の最先端を行く大名ですが、元々は福岡城のお膝元。上級武士の武家屋敷が並ぶ城下町だったんですね、しかもその町割りは今でも残されているんです。
城下町の面影を今に残し、新と旧が融合した福岡天神の繁華街「大名」を歩いてみました。
福岡・大名に残る城下町の町割り
福岡の城下町図
今は町名がかなり整理されて少なくなっていますが、昔はもっと多くの町名が存在していました。そんななかで現在大名と呼ばれている地域は、上の写真で黄色く囲ったあたり。ザックリおおよそで記しを付けているので正確じゃありませんが、イメージとして見ていただければと思います。
西鉄や地下鉄の駅がある天神から少し西、西通りという通りを渡ったところが大名です。
古い建物が今も残る街
大名小学校の外観。
大名小学校をグランド側から。
福岡は古い建物に愛着が無いというか、スグに壊してしまうので今ではほとんどなくなってきていますが、大名にはほんの少しだけど古い建物も残っています。
まず紹介するのは旧大名小学校の校舎、大名2丁目にあるこの小学校は少子化の影響を受けて2014年に閉校。現在は福岡市が進める天神ビックバン構想の中で、跡地利用がされている場所。今も残っている校舎が完成したのは1929年、昭和4年という戦前の建物。間もなく築100年になろうかという歴史ある鉄筋コンクリート製の建物です。
重厚な鉄筋コンクリート製、戦後の校舎には無いような意匠が施されたモダンな建物。
大名小学校前の通り。
大名小学校の前にある通り、同じ並びにはURの事務所や中央区役所があり飲食店なども立ち並んでいます。
たら福大名店
レトロな外観の居酒屋「たら福」の建物。いつ頃建てられたものが分かりませんが、かなり古そうです。
古いお屋敷。
昭和の建物でしょうけども、こちらも古い民家。大きな一軒家、お屋敷と呼ぶにふさわしい風格です。
大名にある老舗醤油蔵「ジョーキュー醤油」
ジョーキュー醤油内部。
街歩き好きにとって大名で一番の見どころと言えばやはりジョーキュー醤油、江戸時代から続く醤油醸造所。ここには国指定の文化財が数多く現存していて、実際に見学することも出来ます。さすがに建物内までは無理ですが、100年以上も現役で使われている仕込み蔵などを外部から見学することが出来るおススメスポット。かつて西郷隆盛によって起こされた西南戦争時、官軍の宿舎として使われたという建物も残っています。
ジョーキュー醤油は「「ジョーキュー醤油」歴史観光も出来る!福岡・大名にある旧城下町の老舗」で詳しく紹介してます。
町家風の建物。
かなり大きな町家風の建物、昔の姿をそのまま今に伝えています。建物の詳細が分からないのが残念。案内板とか設置して欲しいですよね。
松楠居(しょうなんきょ)
ジョーキュー醤油3代目社長の住居として、昭和11年に建てられた建物。やぶ金という蕎麦屋さんになっています。
大名WEEKというイベントで飾られていた古写真。
松楠居付近を写したという昭和初期の写真が、イベントで飾られていました。真ん中の建物にジョーキュー醤油のマークが見えますね。昔から多くの人で賑わっていたようです。
各所に残るレトロな建物。
町家を改装したようなお店。
木枠の扉がとてもいい雰囲気、赤いトタン張りの外装もアートみたいです。
モダンな洋風の建物。
ひっそりと祀られていた神社。
他にも探せばたくさんレトロな建物があるんですけどね、とにかく古い建物をうまく利用しているオシャレな路面店が多いのが大名の特徴。ファッションにグルメ、個性的なお店が数えきれないくらい揃ってます。
江戸時代の姿を残す町割り
ジョーキュー醤油前の鍵状に折れ曲がった道。
城下町というのは敵襲があった際、防御施設としての役割を持っていました。そのため先を見通せなくするために鍵状に折り曲げたり、つきあたりを作って直進できないようにしたりという工夫がされていました。
古地図に記された大名の町割り。
現在の大名には江戸時代の道が、ほぼ原形をとどめて残っています。
天神方面から来た道がつきあたるT字路。
城の方向へ直進できないように、互い違いになっている交差点。
西鉄グランドホテル前の大通り。
福岡の城下町に造られた敵が隠れる事ができない長い直線、要所に設けられたつきあたり。いざというときにはここで戦う事を想定した街の作りになっています。その道は今もそのまま現存していて、江戸時代の福岡城下街図を見ると、今の町割りと殆ど同じだという事がよく分かります。
大名の北端、西鉄グランド前にある通りがS字に大きく曲がっているのも江戸時代の名残りです。
城下町の名残である路地。
正面に見えているのは警固神社。
何気なく歩いている道、大名にある道の殆どが1600年に黒田氏が福岡に入国し、整備した城下町そのままの道。江戸時代から同じ場所にあって、江戸時代に暮らした人たちと同じ場所を歩いているんです。
昭和30年頃の大名、紺屋町商店街の写真。
なんだかレトロでカオスな路地。ここは江戸時代の道じゃなさそうです。
天神と大名とを分ける西通り、ここも江戸時代の道です。
昭和30年ごろと思われる西通りの写真。
古い西通りの写真に写っていた「村山内科」現在の様子。
城下町図
歩きごたえのある街「大名」
ショッピングやグルメなど大名を訪れる人は非常に多いと思うのですが、そこでほんの少しだけ城下町だった大名に興味を持ってみると、見える景色がガラッと変わります。何気なく目当ての店へ向かう通り道、だけどその道は江戸時代の道。ふと周りを見てみると、こんなところにレトロな風景が!なんて楽しみ方も出来るのです。
こんど大名に行くときは、いつもよりほんの少し目線を上げて周りを見てみると面白いかもしれませんよ。
「福岡・大名の街歩き」
※この記事は私が訪問した時のものです、現状と異なる場合があります。
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