京都から左遷され、九州大宰府へ向かった菅原道真公。博多にもその足跡が残されていました。
「綱敷天満宮」菅原道真公が博多に上陸し、立ち寄ったと場所に建つ神社
天神さんといえば天満宮。いわずと知れた学問の神様、菅原道真公を祀る神社です。菅原道真公は京都での権力闘争に敗れて失脚、大宰府へと左遷されるわけですが、その途中に立ち寄ったとされる場所が西日本各地にあります。道真公が辿ったルートとして推定されているのが、京都から大阪→兵庫→岡山→愛媛(今治)瀬戸内海航行中風雨を逃れたとか→広島→山口(防府天満宮)→福岡。細かく書くと広島でも呉とか、いろいろあるのですが大雑把に言うとこんな感じ。
福岡県内では築城町→山口下関→小倉→八幡→博多→今泉→早良郡(現早良区と西区の一部)→大宰府と移動したようで、各地に天満宮や道真公ゆかりの伝承があります。
今回紹介するのはそんな菅原道真公ゆかりの地の一つ、博多区綱場町にある天満宮「綱敷天満宮」です。博多の中心地、博多座のすぐ近くに建つ天神さん。
神社の説明が書かれた看板によると、袖の港に立ち寄った道真公を綱を輪にして出迎えた場所に天満宮が作られたそうです。綱を輪にした「綱輪(つなわ)」から、今の地名「綱場(つなば)」に繋がってるんです。
ちなみに、袖の港とは博多の中心部にあった港。元々、博多はひょうたん型をして二つに分かれていました。北部を息の浜、南側を博多浜と言ったそうです。ちょうどひょうたんのくびれ部分にあったのが袖の港。まさにこの場所がそうだったんです。ちなみに、本格的な貿易港として袖の港を整備したのは平清盛と言われています。
綱敷天満宮の古い絵もありました。
大きな神社ではありませんけども、町の鎮守といいますか、下町の神社という感じで風情があります。なんだか懐かしいような町の風景、鳥居をくぐってお参りしましょう。
御神燈が灯されていて、幻想的な雰囲気。街なかにあっても神社って静かな空間、厳かな神域。
屋根にある梅の紋が、ここが天満宮であることを示していますね。梅紋は天満宮の紋、ここにあるのは梅鉢という紋で天満宮でよく使われている紋です。菅原道真公の一族である菅原氏は大和の国、現在の奈良県が本拠地。機内の豪族でも大和には梅の紋を使う豪族が存在し、信長の野望を叶える某国民的ゲームで有名な大和の戦国大名筒井氏も梅紋。また有名なところだと、加賀100万石の前田氏も梅紋を使用し、菅原氏の末裔を称していました。
本殿に向かって参拝、小さな神社ですがよく手入れされています。
ふと手元を見ると、おみくじと絵馬があります。これは引かねばならんでしょう、話の流れ的に。
かなりシッカリ糊付けされていてはがすのに一苦労…しながら、ようやく開いてみる。な、なんや、えらい値打ちこいてくれたから凄いかダメダメかどっちかやと思ったら、中途半端やなぁ。ネタ的に微妙やけど、これもありがたいお告げやからね。大事にしましょう。
おみくじの内容は、末吉でガッカリカと思いきや、かなり内容が良くないですか?運勢なんて「これまでの苦労ようやく溶けて、次第に盛運に赴くときである」とかなってますよ。ということは、10年くらい低迷していた僕の運勢も少しは上向くかな?
おみくじの内容に希望を見出してホッとする僕の目に留まったのが絵馬、なんか内容からするとご当地アイドルっぽい人が書いてますね。「きゃら♡ふる」ですか
ちょっとググってみると・・・ありました!公式サイトを発見したのですが、メンバーページもブログもツイッターもリンク切れ。ライブの動画がYouTubeに上がっていたので貼っときます。
年齢層がかなり低いので、ジュニアアイドルみたいな感じです。で、他にもないか調べてみたところ
今まで活動が出来たのもファンの皆様の支えがあったからです。
メンバー・スタッフ一同、心より感謝申し上げます。
これからメンバーそれぞれ新たな道に向かって進んでいきます。
どうぞ温かく見守って頂けますと幸いです。
またどこかで皆様のお目にかかれますことを楽しみにしております。
本当にありがとうございました!!!!きゃら♡ふる応援wikiより
と書かれていたので、解散してしまったのでしょうか。福岡といえばご当地アイドルの激戦地ですからね、大変なんだなぁ。
という事で、川端から祇園経由で博多まで歩いている途中で見つけた天満宮、そこから博多のご当地アイドルまで繋がっちゃいました。いや~、街歩きって楽しいですね。
「綱敷天満宮」
住所:福岡市博多区綱場町5-7
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