「大同庵跡の古渓水」博多の火難除けスポット!庵の主は千利休の師匠だった

大同庵跡

豊臣秀吉の勘気に触れ九州博多へ配流となった蒲庵古渓(ほあんこけい)の庵跡。豊臣秀吉、千利休、朝倉宗滴、少し調べてみると、歴史の偉人がぞろぞろと…

「大同庵跡の古渓水」博多の歴史を語る小さな街なか歴史スポット

博多区奈良屋町にある「大同庵跡」は、蒲庵 古渓(ほあん こけい)が博多配流となった時に住んでいた庵跡。蒲庵古渓は戦国時代末期から安土桃山時代に活躍した臨済宗の僧で、出身は越前の国、俗姓は朝倉氏。一説には仏門に入ったとされている、戦国時代の名将「朝倉宗滴(あさくら そうてき)」の実子ではないかとされている人物。

朝倉宗滴といえば越前守護朝倉氏のスーパー武将、数々の合戦で戦功をたて内政・外交も司り、実質的な当主として朝倉氏の全盛期を築いた人物。戦国ファンなら知らない人はいない、希代の名宰相。まあ、あくまでも一説によると…なので、確実じゃないんですけど、越前朝倉氏の一族だという事は確かなようです。

大同庵跡1

出自は平安時代からの続く武家の名門朝倉家、そんな名族が博多区の奈良屋町に住んでいたんですね。いまは普通の街並みにひっそりと、隠れるように「大同庵跡」の碑が建っています。

大同庵跡2

そして博多の歴史スポットと言えば、この電柱看板。博多区内で起きた歴史上の出来事を解説したこの看板、アチコチにあるので探して歩くのも面白いかもしれません。

大同庵跡3

庵跡に残る井戸の水は「火除け水」として大切にされていたようです。更に古渓和尚の名をとって、この辺り一帯を「古渓町」という地名で呼んでいました。

この地に住んでいた古渓和尚は越前朝倉氏の一族で、しかも本能寺の変で倒れた織田信長の葬儀で導師を務め、豊臣秀吉の片腕として活躍した秀吉の弟「豊臣秀長」の葬儀でも導師を務めるなど豊臣政権とのつながりが深い大人物。本来なら上方で活躍しているはずなのに、なぜ博多に住んでいたのか…不思議ですよね。

その原因となったのは、ズバリ豊臣秀吉との対立。

1584年、豊臣秀吉は織田信長の菩提寺として天正寺の創建に着手し、古渓和尚を開祖、造営の責任者に指名します。このお寺は「天正」という元号を冠した寺になる予定で、元号の名前を寺に下賜することは天皇にしか出来ないことでした。そのため正親町天皇の親筆で「天正寺」の勅額が作られ、古渓和尚に下賜されました。

しかし秀吉は1588年に生母大政所(なか)のため天瑞寺を創建する一方、天正寺の創建計画は全く進めようとしません。天皇から寺名を下賜されておきながら、断りもなく創建を止めた豊臣秀吉と古渓和尚の間で何かしらの対立が勃発したのか、天正寺の話は立ち消えになり古渓和尚は博多へ配流となります。

大同庵跡4

博多に配流された後は豊臣秀吉と関係の深い神屋宗湛ら博多商人によって迎えられ、この場所に「大同庵」を建てて暮らしていました。

大同庵跡5

敷地内に建てられた古渓水の碑には、この水の由来が彫られていました。

大同庵跡6

この井戸の水が古渓水のようです。400年以上前の人も目の前の井戸で同じ水を汲んでいたと思うと、なんだか歴史が身近なものに感じられます。

大同庵跡7

江戸時代の博多を描いた地図がありました。この地図は下が北になっていて、古渓町は黄色い丸で囲んだ部分に書いてあります。

大同庵跡8

その横には「西門橋」と彫られた明治時代の石柱があったんだけれども、ここに橋があったり何かの西門があった形跡が見つからない。果たしてこの石柱はなんなのでしょうか。

大同庵跡9

そして庵の主、古渓和尚の石像。静かに目を閉じて瞑想している姿でしょうか。

和尚がこの地へ流されて暮らしていたのは3年間、禅の弟子である千利休らの尽力により古渓和尚は許され、京へと帰ることになります。古渓和尚は千利休が師事する禅の師匠なのです、凄い人ですよね。

博多で厚遇されていた古渓和尚は、帰り際に世話になった博多の人々へ恩を返すため庵の井戸に両手の指で「水印(すいいん)」を結び火災除けの祈祷を行いました。それ以来、この井戸から出る古渓和尚が祈りを込めた水は、家に注ぐと火事がおきないと言われるようになり現在に至ります。

そして京に戻った古渓和尚のその後ですが、更に大きな問題に巻き込まれることになります。

京に戻ってすぐ、1591年に秀吉の弟「豊臣秀長」の葬儀で導師を務めますが、この年に起こった千利休の切腹事件に絡んで責任を取らされます。

事の発端は古渓和尚が住職を務める「大徳寺」の山門二階に千利休の木造がまつられており、豊臣秀吉が山門をくぐった際に利休像の下を通ることになってしまったこと。この事実を知った秀吉は激怒、千利休に切腹を命じ、大徳寺を破却しようとます。古渓和尚は破却を告げるために秀吉から派遣された使者の前に立ちはだかり、短刀を持って自らの命を絶とうとしたため使者は慌てて引き返し、なんとか寺は破却を免れました。

晩年は洛北の市原にある常楽院に隠遁し、1597年に永眠。

普通の街中、それも駐車場の奥にひっそりと佇む歴史スポット。派手さはありませんけど、ちょっと調べてみるとその場所が持つストーリーの広がりに驚きました。博多のコインパーキングの隅っこにあった井戸から、織田信長やら豊臣秀吉、千利休、しまいには朝倉宗滴ですからね。まさかこんなドラマがあったとは…

歴史スポットは「残す」という強い意志が無ければ、一瞬で消えてなくなります。現代に暮らす安川が歴史を知るきっかけとなるような、こういう場所を残してくれた人たちに感謝したいと思います。今を生きる私たちが歴史スポットを巡って街歩きを楽しめるのも、こうやって残し守っている人が居るからなんですよね。



「大同庵跡の古渓水」
住所:福岡市博多区奈良屋町4-5

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