「本岳寺と入定寺」歴史を感じる博多大水道の跡とレトロな街並み

古都博多の面影を今に伝える旧市街地区、上呉服町に残る博多大水道の跡と二つのお寺。

「本岳寺と入定寺」歴史を感じる街

開発が進む博多の中で、今も昔の面影を色濃く残す呉服町地区。博多の旧市街といえば聖福寺などの大寺院が建つ御供所町が有名ですが、街歩きを楽しむなら呉服町のほうが面白い。呉服町は御供所町の北側に隣接する地区で博多の東側、石堂川(三笠川)に面した地域。黒田家支配下の福岡藩による江戸時代の町割りで多くの寺が移転させられ、博多の東側を守る防衛線としての役割を担てっていました。そのため御供所町から隣接する呉服町にかけては多くの寺が集中しており、博多の寺町として知られています。

今回訪れた本岳寺と入定寺、この界隈はレトロな雰囲気が残る地域。鎌倉時代に設けられた堀跡、博多大水道の跡も残っている歴史スポットでもあります。

明治通りから一本入るとレトロな風景

本覚寺と入定寺1
博多区上呉服町。明治通りから一本筋を曲がると、そこは古い建物が残るレトロな街

福岡市西区から中央区天神を抜けて東方向、博多から県庁へと続く大通り「明治通り」というメインストリートにある地下鉄呉服町駅。上呉服町と呼ばれるこの場所は、博多の中でも古い町並みが残る地域。開発が進んだ大通り沿いから一本筋を曲がると、そこは歴史を感じさせる旧市街のレトロな街並み。本岳寺と入定寺はそんな古い町の面影が残る、博多の旧市街にあります。

本覚寺と入定寺2
明治通り沿いに建つ善道寺の本堂

本覚寺と入定寺3
善道寺の説明が書かれた看板

お目当ての本岳寺と入定寺があるのは博多駅の北側、御供所町から続く呉服町の寺町地区。寺町のなかには戦国初期の大大名である大内義隆の祈願所となった善道寺というお寺もありました。大内義隆は陶晴賢の謀反により自刃に追い込まれた事で有名で、戦国時代の下剋上を象徴する事件の当事者。いきなり歴史上の大人物が残した足跡にぶち当たります。博多恐るべし…というか、こういう事が多いので動じなくなってきました。

博多は豊後を治め一時は九州の王とまで言われた大友氏、応仁の乱などで活躍し京から西日本にかけて大きな影響力を誇った周防の大内氏などによる争奪の舞台となりました。一時は大内氏の支配下にありましたが、ここへ大内義隆が訪れたのはその頃の事なのでしょう。また博多には鎌倉時代に建てられた寺が多く、鎌倉幕府による大規模な城郭都市整備に伴う開発事業が影響していると思われます。鎌倉幕府は本拠地鎌倉、京都、そして博多、この3都市を国内で最も重要な都市として重点整備しました。まさに現在まで続く博多の原型が出来た時代ですね。

本覚寺と入定寺4
善道寺の前を通る道、この道も江戸時代の絵図には既に書かれている道です。

善道寺の向かいにも寺院が建ち、その間を南北へ続く道。この道は江戸時代の絵図に描かれている古い道で、この道を北へ行くと海、南へ行くと聖福寺へと続いています。

西昌山「本覚寺」

本覚寺と入定寺5
本岳寺の山門と隣接するレトロな建物

本岳寺があるのは先ほどの善道寺から明治通りを渡って南側、善道寺前を南北に向かう道を南へ行ったところにあります。このお寺は博多区祇園にあった寺で、慶長年間、ちょうど福岡藩成立直後の頃にここへ移されてきました。

本覚寺と入定寺6
本岳寺の向かいにもレトロな建物が立ち並んでいます。

古い建物が壊され開発が進む博多ですが、本覚寺の前はエアポケットとでも言いますか、古い町並みの面影を残したレトロな場所です。

本覚寺と入定寺8
本岳寺の建物群

山門をくぐると目の前は広い駐車場、境内の多くの部分が駐車場になっています。その奥に建つ本岳寺、重厚で歴史の重みが伝わってくる建物です。

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本岳寺の境内、本堂の脇にある渡り廊下がいい味出てます。

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本岳寺の本堂

駐車場を大きくとっているため、とてもコンパクトにまとまっている本岳寺。そんな中でひときわ目を引く立派な本堂は、大正5年に建立された総ひのき造り。本堂を飾る豪華で緻密な彫刻と、歴史の重みを感じる荘厳な建物。これだけでも一見の価値はあります。

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本岳寺境内に建つ経王堂

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向かって左から浄行菩薩堂、弁財天堂

そういえばこの本岳寺、じつは賭け碁で宗派も寺名も山号も変更されたという変わった経歴のあるお寺なんです。

開創以前の本岳寺は、当時は矢倉門(現祇園町)にあり、聖福寺の末寺に属する禅宗の「本覚寺」というお寺で、「西昌」という僧が住持していました。

この西昌はとても囲碁が強いとの評判で、明応5年(1496年)8月、京都より法華宗の日因上人が博多に赴き、直談の上、お寺を賭けての碁を囲む事になりました。

その結果、日因上人が勝利を収め、約束通り西昌よりお寺を譲り受け、山号を先住の名を残して「西昌山」と称し、本覚寺を「本岳寺」に変えた・・・

御供所info「本岳寺」より引用

寺をかけて碁を打つというのも凄いけど、だからといって宗派まで変えるものなのでしょうか。他に何か理由が無かったか、気になるところ。

さらにこの本岳寺には400年以上前に書かれた涅槃図が伝わっていて、現在は九州国立博物館に保管されています。この涅槃図の裏書には1826年から1838年まで質物になっていて、金子6両(約80万円相当)で質屋から受けだされたという記録が書かれているそうです。

入定寺と大水道跡

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入定寺の山門

本岳寺のスグ隣、ここには入定寺というお寺があります。寺の名前である「入定」とは高僧が亡くなるという意味なので、偉いお坊さんが亡くなったために建てられたお寺という事なのでしょうか。

調べてみると…

駿河の国出身の圓心という僧がいて、このお坊さんの人柄を徳川家康が気に入って帰依し、戦場に同行させて戦勝を祈願させたりしたそうです。やがて黒田長政の家臣のつてで博多に住むようになり、27日間の断食をして入定に入る。圓心が亡くなった後、黒田長政は本人が生前に望んでいた仏堂を建てた。これが入定寺の始まりで、寺号の「入定寺」は圓心が入定した場所にちなんでつけられました。

本覚寺と入定寺15
入定寺の本堂

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入定寺の文化財に関して書かれた看板

入定寺はとてもこじんまりしたと言いますか、それほど広くない境内に新しい建物が建つお寺です。ここにも市指定の文化財があり、一つは弘法大師の銅像、もう一つは14世紀に描かれた不動明王と愛染明王の仏画。両明王の仏画は一般公開されていません。

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市指定の重要文化財、弘法大師の銅像を中心として五輪塔や仏像が並んでいます。

もう一つの市指定重要文化財である弘法大師銅像は本堂の横にあり、拝観者が自由に見ることが出来るようになっています。この銅像は1825年に作られたもの、作られた年や作者の名前が掘られているそうです。

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本堂の裏手から見た入定寺

お寺の境内は小さく見えたのですが、裏に回ると駐車場や茶道教室とかかれた大きな建物があるのでケッコウ広いですね。

今から400年以上前、この場所に徳川家康とも面識がある僧侶が住み、入定した。そして今、時を超えて同じ場所に立つ。なんて言えばいいのか言葉で上手く表せませんが、歴史の連続性というか、リアルな時間と人との繋がりを感じることができる。言葉にしにくい感覚だからロマンとか言うのかもしれないけども、過去の人と同じ場所に立ち出来事を知ることで自分も歴史の一部だと感じることが出来るし、諸行無常の世を楽しむことが出来るような気がします。

歴史って妄想や空想などの想像力で楽しむものだと思うんです、妄想の材料を現地に出かけたり調べたり、沢山の材料が集まるほど楽しみは広がる。歴史は目に見える物が全てじゃない、形が無くても楽しめるものなのです。

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向かって左に入定寺、右に本岳寺。

本岳寺と入定寺の間にある一本の道。この道は博多大水道と呼ばれた巨大水路の跡で、博多の中世史研究の第一人者である佐藤鉄太郎氏によると鎌倉幕府によって作られた堀の跡なのだそうです。

元寇によって他国からの侵攻に備える必要に迫られた幕府は、京都六波羅探題に続いて博多に探題(幕府の統治機関)である鎮西探題を置きます。この事により博多は九州の軍事と政治と貿易、そして幕府の外交を司る総督府ともいえる重要拠点となり、対外戦争の前線司令部となりました。同時に幕府は更なる大規模な元軍の侵攻に備えて博多湾沿岸に石築地という防塁を築き、博多にはその防塁の後ろに堀を掘って土居と呼ばれる土塁を整備し、海岸線を突破された場合に備えるなど城郭都市として博多を整備しました。

そして今、目の前にあるこの細い通りが鎌倉時代の堀跡。実際にはもっと幅が広く逆茂木や乱杭といったものも備えていました。この大水道もとても興味深いので調べるとそれなりのボリュームになります。なので改めて別の記事を書きます。この記事執筆時点では、調査と取材を行ってる真っ最中。Twitterなどで最新更新情報を流しているので、気になったら読みに来てください。

歴史と出会う街「博多」

博多は歴史の街とか、旧市街地を観光地整備だとか市長が言っているけども、そんな整備をするよりも情報を素人でも分かり易い形に編集して発信する事が大事じゃないでしょうか。興味を持つにはまず知らなければなりません。知るためには情報が必要なんですけども、博多の歴史を調べようと思っても分かり易い書籍などがほとんどありません。江戸時代以降は沢山あるんですけど、博多の中世、一番栄えていた時代のものがほとんどないんです。唯一というか、アマチュア歴史ファンが理解できる内容で具体的な中世博多の姿を記してくれているのは、筆者の知る限り佐藤鉄太郎氏だけではないかと思われます。

今回の街歩きでも大内義隆の足跡が残っていたり、入定寺の圓心から徳川家康の名前が出てきたり、思わぬ有名人や歴史的な出来事と博多の繋がりを見つけることが出来ました。さすが古都といいますか、歴史ある街なのですからもう少し素人でも歴史に関する情報に触れる機会があればと思います。太閤町割りとか黒田藩とか山笠関連はもう多すぎてお腹いっぱいなので、次は博多の黄金期でありドラマティックな激動の時代である中世史に力を入れてもらいたいですね。



「本岳寺」
住所:福岡市博多区上呉服町14-21

Googleマップへ

「入定寺」
住所:福岡市博多区上呉服町13-14

Googleマップへ

※この記事は私が訪れた時のものです、現状と異なる場合があります。最新情報、詳細はご自身で確認することをおすすめします。

街歩きで立ち寄りたいランチスポット、本岳寺のスグ近くにレトロなうどん屋さんがあります。昔ながらの柔らか極太の博多うどん。雰囲気いいですよ、おススメです。

 

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