世界遺産だからと言って全てが観光に適しているとは限らない。これは日本〇大チョメチョメ観光名所なんかで札幌の時計台なんかが選出される事でも証明されているわけで、何かに認定されることと見に行って楽しいとか感動できるとかとは全く別のお話だという事です。
という事で三池港、世界遺産、見に行ってきました。といっても見どころが少なすぎるので、石炭産業科学館にあった古い写真をスパイスに観光レポート記事を書いてみます。
この記事は特集「【西鉄天神大牟田線】の終点がクッソ面白かった!天神発の電車ひとり旅」の関連記事です。
「三池港」明治の大開発事業
三池港の展望所であり観光案内所でもあるガラーんとした場所。
三池港という港をご存知でしょうか、福岡県大牟田市にある石炭の積出港として明治時代に整備された港です。明治の姿を今に留める貴重な歴史遺構として、世界遺産に登録されたという港。実際に港の中まで行けるわけではないけれど、最近は田舎に行くと観光地で必ず見かけるガイドさんと共に展望所から見ることが出来ます。
三池港と言えば港の入り口で開閉する閘門。展望所から見ると…随分遠いなぁ。
三池港は大牟田から熊本県荒尾市にかけて存在した、三井三池炭鉱から採掘された石炭を積み出す積出港として整備された港。有明海に面した港で、もともとは干潟が広がる湿地帯。水深が浅く大型船が入港できませんでした。
そのため三井三池炭鉱で採掘された石炭は、小型船に積み込んで大型船が接岸できる港まで運び、そこで積み替えて各地へ送るという低効率高コストという輸送問題を抱えていました。それを解決すべく造られたのが三池港。元々あった海岸線から先へと埋め立て、港湾部分を作り、干潮時に水が港湾から出てしまわないように閘門を設け、1万トンクラスの輸送船が入港できる港が完成しました。
三池港の様子
現地看板にあった三池港の航空写真。
現在の三池港は当初の規模からかなり拡張されていて、内港地区と船渠に別れています。このうちの船渠(ドック)と呼ばれる閘門の内側が明治時代に造られた部分。閘門を開け閉めすることで、港内を必要な水深に保っています。
ちなみにこの閘門はほぼ明治時代当時のまま、いまだに現役で稼働しています。パナマ運河と同じ閘門式ドックとWikipediaに書かれていました。
大正15年当時の三池港、空撮写真。石炭産業科学館に展示されていた写真。
三池港の設計図でしょうか、石炭産業科学館に展示されていた図面。
上の写真にある図面の黄色いところが港湾整備のために埋め立てられた部分。その中に港となる部分を繰り抜いたように残し、閘門を設けて閉鎖ドックにすることで水深を保ち、1万トン級の船が3隻停泊できるように作られました。
昭和13年の三池港全図。石炭産業科学館に展示されていた図面。
その後、昭和に入って拡張工事が行われ現在のような姿になりました。港を上から見た形が翼を広げた鳥のように見える事から、ハミングバードという愛称で呼ばれています。
三池港のドック地区と展望所の間に広がる広大な空き地。ここは各坑道で採掘された石炭を運び込む鉄道の線路と貯炭場がありました。
貯炭トンネルと炭鉱鉄道の線路。小さな電車も映っています。写真:石炭産業科学館の展示
三池港ドック地区の岸壁部分。ここに3隻の輸送船が接岸し、巨大な積み込み装置で石炭を積み込んでいました。現在はフェンスがされていて立ち入ることはできません。
ぶっちゃけ言いますけど、展望所があまりにも遠すぎて、見ても「へ~」くらいしかならないんですよ、世界遺産や明治の炭鉱跡巡りのマニアでもない限りわざわざ展望所に見に行っても…という事で、とりあえず行ける所まで近づいてみました。
大型の輸送船が接岸し、石炭を積み込んでいる様子。炭鉱鉄道の機関車も映っています。石炭産業科学館に展示されていた写真。
停泊する駆逐艦、海軍もこの港を訪れていたようです。石炭産業科学館に展示されていた写真。
ドックの内側から岸壁を撮影。
岸壁部分のアップ。
実際に見られる部分は非常に少ないのですが、行ける限界まで行って閘門内のドック部分を見てきました。岸壁は見るからに歴史を感じる石積み、完成当時の物かどうかは分かりませんが古いですよコレ。大型輸送船が3隻接岸できるとのことですが、実際に近くで見ると意外と狭い。
展望所で色々と説明してくれたガイドさんの話によると、巨大な石炭積み込み装置1基が最近まで残っていたそうです。しかし子供が勝手に入って怪我をしてしまい、それが原因で取り壊すことになったのだとか。かなり大きな装置だったらしく「残っていれば貴重な資料になったのに…子供の怪我で取り壊すなんて」とやり切れないといった表情で語ってくれました。
閉まる閘門
三池港閘門開閉時間の時刻表。
三池港は現役の港ですから、閘門も当然動いています。潮の満ち引きに左右されるために、開閉時間は月や日によってまちまち。なかなか見ることが出来ないそうなのですが、偶然にも閘門が閉まる時間に居合わせることが出来ました。
これもすべて、ここに来る前に立ち寄った三川抗跡のガイドさんのおかげ。教えてくれなかったら、三池港をみないまま帰るところでした。
半分閉まった閘門、撮影したコンデジの限界である10倍で撮影。
閘門の開閉用に動力があるそうですが、潮の満ち引きを利用するために殆ど動力なしで開閉させるそうです。しかし展望所から遠すぎて、だからなに?って感じ。動いてる様子もほとんど分からない。とりあえず半分閉まってきて「あ、動いてる。」と気づく程度。
閉まる直前
日差しも逆光なので陰になって細かいところは見えないし、いい写真が撮れませんね。
閘門の外側から閉まった状態を撮影。
やっぱ展望所からじゃよくわからん、とりあえず自転車で近寄れる所まで行きました。ちょうど閘門が閉まった状態を外側から見ています。ここならだいぶ近い。
閘門部分の古い写真。石炭産業科学館で展示されていた写真。
閉じた閘門のアップ。
完成当時の姿を留めるスルーゲートという装置。
閘門を通過するアメリカ海軍の貨物船ゴールドスター号。
初めて訪れた大牟田で、いきなり閘門が閉まるシーンに出会えたのは大変ラッキーだったのでしょう。閘門には入ることが出来ませんが、近くから見ても分かるほど古い昔の姿を留めています。これはなかなか見ごたえがありますね、展望所からの眺めは全然ダメダメなので出来るだけ近くまで行って見学することをおすすめします。
閘門の限界まで近づけたのがココ、ちょうど閘門の横です。(自動車を止める場所はありません)
長崎税関三池支署跡
長崎税関三池支署だった建物。
三池港のドック地区、岸壁の側に長崎税関三池支署として建てられた建物が残っています。洋風の外壁に瓦屋根という和洋折衷の建物、建てられたのは1908年。三池港開港とほぼ同時です。
現地看板の写真。
入口を入ってスグの税関窓口。役所業務の様子が目に浮かぶよう、当時のまま残っています。
税関の執務室側から窓口を見るとこうなります。
三池港は直接海外との貿易も行う港だったために、税関が置かれていました。ここで多くの人たちが通関手続きを行っていたのでしょう。
税関のスグ脇に残る線路の跡。
世界遺産の三池港、観光地としての実力は…
明治日本の産業革命遺産を構成する一つとしてユネスコに登録されたのが2015年、筆者が訪れたのが2018年の春。正直言って観光地としての整備は殆どなされていません。現役の港だけに当然と言えば当然なのですが。
そもそも世界遺産と観光というものは全く関係のないもので、むしろ保護し後世に伝えて行くという観点から見ると観光などシャットアウトしたほうがいいわけでありまして、世界遺産で旅行客が急増して一攫千金ウハウハとか、注目が集まって地域の活性化みたいなことを考えても甘くないよというのが現実でしょう。
だからと言って大牟田に魅力がないかと言えばそうではなくて、他にもっと魅力的なところがあるので世界遺産よりも大牟田の街を見てほしいと思う次第。まあ、三池港はアレですが、筆者のおもい付きで偶然遊びにきた大牟田市、なかなか魅力的な街です。旅行記的な特集記事を書いているので、良かったらご併せて覧ください。
特集記事はこちら→【西鉄天神大牟田線】の終点がクッソ面白かった!天神発の大牟田観光ひとり旅
「三池港」
住所:大牟田市新港町
大牟田関連記事:【大牟田】「三川抗」廃坑した炭鉱の生々しい姿を今に留める坑口跡
※この記事は私が訪れた時のものです、現状と異なる場合があります。最新情報、詳細はご自身で確認することをおすすめします。
大牟田の近代化産業遺産→https://www.miike-coalmines.jp/
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