「神屋宗湛屋敷跡・豊国神社」豊臣秀吉や戦国武将が通った場所!博多豪商の邸宅跡

豊国神社

豊臣秀吉といえば、百姓から天下人になったという有名人。九州博多にもしっかり足跡を残してます。

「神屋宗湛屋敷跡・豊国神社」博多小学校は元寇や豊臣秀吉ゆかりの歴史スポット

いや~感動しますよね。安川がまだ大阪で働いていた時に、まあ、建築営業だったんですけど。数字が伸び悩んだ時に、いつも行くところがあったんです。その場所は大阪城。なんかね、数百年前に天下を取った人が眺めた風景を見れば、自分のやってる事なんて極々小さな砂粒みたいなことに思えるんじゃないかと現実逃避していたわけですが。

大阪城の天守に上がって巨大な城跡を眺め、大阪の街を見下ろせば「まあ、どうでもいっか、なるようになるさ」と気持ちが軽くなったもんです。

祖母が大阪城の近くに住んでいることもあって、子供の頃は大阪城が大好きでしょっちゅう訪れていました。その思い出の城を築いた張本人がこの博多でも色々やっているらしい・・・へぇ~、ですよ。なんか感動しちゃいます。という事で、博多にある秀吉ゆかりの地、神屋宗湛という人のお屋敷跡へと行ってきました。

豊国神社1

場所は博多区の奈良屋町。お屋敷跡の大部分は、現在博多小学校になっています。

そしてこの場所は鎌倉時代、元寇の激戦地でもありました。小学校の地下には発掘された石塁跡の展示室があります。

豊国神社2

博多小学校はとても綺麗な小学校、通り沿いに朝鮮征伐に参加した豊臣ゆかりの武将の名前がずらり。当時の朝鮮というか、明国に従属する朝鮮を大陸侵攻の橋頭保とするために出兵した豊臣秀吉。ただ、やはり外征は難しい、終始朝鮮・明の連合軍を圧倒していた豊臣軍でしたが、豊臣秀吉の死後、国内で各大名間で権力を巡る争いが顕在化し指揮系統が混乱。結果、次々と大名の帰国が決まり、講和によって戦争は終結。明の資料によると、明の兵士10万を喪失、秀吉の死去が無ければ勝てなかったと記録されているそうです。

この後、秀吉との戦争で大打撃を受け弱体化した明は、後に勃興してくる女真族により滅ぼされ清国となり、朝鮮も同じく滅ぼされ清国の属国となります。秀吉の朝鮮出兵、思っていた以上にアジア世界で大きな影響を与えたんですね。

この戦争について『明史』は「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」と総評する

wikipediaより

豊国神社3

博多小学校のグランド。神屋宗湛は豊臣秀吉を経済面から支え朝鮮征伐の際には兵站も担ったことから、ここで石田三成などと何度も話し合いをしていたのでしょう。

神屋宗湛邸の茶室には、石田三成が腰かけたという石が昭和の時代、太平洋戦争の敗戦直後まで残っていたそうです。

豊国神社4

この地で起きた歴史的な事柄を紹介する看板。博多にはこのような看板が、100か所以上設置されています。

この看板によると、神屋宗湛は世界一の富豪だったそうですよ。この時代アジアのほとんどはスペインなど欧州列強の植民地ですからね。インドはポルトガル、フィリピンはスペインなどなど。そんな状況ですから、日本一であったかもしれませんが世界一は少し怪しいかも。いずれにしても、名だたる戦国武将がこの地を訪れ、安川は今そこに立っている。考えただけでもゾクゾクします。

豊国神社5

屋敷跡地は小学校になっていて往時をしのばせるようなものは何も残ってないように見えますが、学校正面からぐるっと小学校の裏手、西側へ。そこに小さな神社、豊国神社があります。

豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社で、全国各地の秀吉ゆかりの地にあります。この豊国神社は、神屋宗湛が屋敷内に祀った祠を元に1886年創建されました。

豊国神社6

そして、ここに神屋宗湛屋敷跡の看板があります。

豊国神社7

ここにもありました、博多の歴史を伝える看板。これを探すのも楽しいんですよ。1592年10月末日、豊臣秀吉がこの屋敷を訪ねたと書かれています。

豊国神社8

豊臣秀吉の家紋、五七の桐です。この紋は、現在の日本政府の紋と同じ。現在の日本は天皇家が菊、五七の桐を日本政府が使用しています。よく見る桐紋は五三の桐紋、法務省などが使っています。本来は両方とも天皇家の紋、桐紋は天皇家に大きな功績を遺した臣下にも下賜されました。有名なところだと足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。この中で、この紋をメインとしていたのは豊臣秀吉。足利尊氏には足利家の紋がありますし、織田信長、徳川家康も同様。徳川家康は隠居地である駿府で使っていたそうです。

豊国神社9

街なかにある小さな神社ですが、この場所が持つ歴史的な重みは大きいですよ。なんと言っても明の滅亡の引き金を引いたのは、ここで話し合いをしていた人たちなのだから。

豊国神社10

さて、この屋敷の主であった神屋宗湛は、戦国時代末期に活躍した貿易商。父はあの石見銀山の開発に携わったとうい人物で、出家する前は貞清という名前だったそうです。博多三傑といわれた豪商で、堺の大商人・津田宗及や茶道の千利休とも交流がありました。

豊臣秀吉に重用され、博多復興や九州征伐で秀吉を支援しました。また、朝鮮出兵時には兵站の補給を担当し、側近として活躍。福岡藩祖である黒田官兵衛とも親交があり、福岡城築城の際には金銀や米を献上し貢献したそうです。

様々な特権を許され栄華を極めますが、豊臣家の滅亡後、江戸時代へと時代が移り変わるなかで次第に力を失い、1635年に病没、墓所は妙楽寺にあります。

いや~しかし、この場所に石田三成やら前田利家などなど、戦国の武将たちが集っていたと思うと、妄想がはかどります。歴史って本当に面白いですよね。



「神屋宗湛屋敷跡・豊国神社」

住所:福岡市博多区奈良屋町1−18(豊国神社)

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