博多の鎮守といえば櫛田神社が有名だけれども、町の守護神は龍宮寺の三宝荒神だったのです。
龍宮寺と三宝大荒神社
三宝荒神とは仏教における仏、法、僧を守護する守護神、つまり仏教を守護する守護神です。人魚伝説で有名な博多区冷泉町に建つ龍宮寺、このお寺には博多に打ち上げられた人魚が埋葬されたと伝わっていて、人魚の骨や絵図が今も残されています。そんな人魚伝説で有名なお寺の境内に、実は凄い神様が祀られていたんです。それが三宝荒神。
龍宮寺の三宝荒神は仏教が盛んな博多の守護神として、多くの信仰を集めていました。応仁の乱で武功を上げた有力守護大名「大内政弘」が筑前へと侵攻し、筑前守護であった少弐氏を降して同地を支配した際、筑前の新しい覇者となった大内政弘が自ら博多を訪れ祈願を行った荒神様。つまり博多で最も重要な神様であった事を表しています。
霊験あらたかな荒神様の社
博多駅から北へ、祇園駅のスグ近く。博多を代表する大通り「大博通り」沿いに建つ龍宮寺
龍宮寺があるのは博多駅博多口の目の前を通る大通り大博通り沿い、歩いてでも行けるんだけれども、地下鉄で行くなら祇園駅を降りてすぐ。ちょうど東長寺の筋向いに建っています。
歴史の重みが伝わってくる立派な山門と、三宝大荒神の碑。
立派なビルが立ち並ぶ大博通り、そのビルが切れたところに突如現れる立派な山門。龍宮寺と書かれているので寺の山門かと思いきや、この門はもともと三宝大荒神の門なのだそうです。門の横には大きく三宝大荒神と彫られた石碑が立ち、門をくぐって正面には荒神社が建っています。確かにそういわれると、そんな配置になってますね、中の建物が。
寺の前には龍宮寺の簡単な説明を記した看板。
移転前に龍宮寺があったとされる場所、博多区店屋町7番地
龍宮寺の山号は冷泉山、創建当初は浮御堂という寺でしたが1223年に博多津で捕らえられた人魚を寺に納めた事から「龍宮寺」と寺号を改めました。また龍宮寺はもともと博多区店屋町にあったものを、黒田長政が入国して福岡の城下町を整備したころに現在地へと移されました。
博多のパワースポット!守護神にお参り
三宝荒神社
門をくぐると正面にある三宝大荒神社、見るからに古そうな歴史を感じる拝殿。そんなに大きくはないんだけれども、随所に意匠が凝らされていて歴史の重みが伝わってくる荘厳な建物です。
大内政弘のような守護大名でさえ入国してすぐ祈祷に訪れたのに、気付かなかったとは言え挨拶が遅れてしまい誠に申し訳なく候…てな感じで参拝を済ませる。博多の守護神様に参拝を済ませたんだから、今日から少しは運気があがるかな?ちょっと期待。
破損した狛犬と思われる像
現在の狛犬
拝殿から後ろを見ると、破損した狛犬のような像が置かれていました。かなり古い物のようで、台座には沢山の文字が書かれていましたが読むことが出来ませんでした。いま拝殿の前には比較的新しい狛犬が、阿形吽形それぞれに設置されています。
荒神社の横に並ぶ石仏
信州善行寺如来安置と書かれた石
さらに境内を見回してみると拝殿の横に石仏が並び、門の横には信州善光寺如来安置と書かれた石がありました。三宝荒神は不浄や穢れをこの世から払うとされている荒神なので、それにかけて病気も払おうと考えたのでしょうか。
三宝大荒神社の全景
博多のど真ん中、しかもビルの間に建つ寺だけに境内は広くありませんが、いかにも古い見事な社殿は存在感抜群。これは素晴らしい、見ごたえ十分です。インスタ映えしそうじゃないですか。
龍宮寺と人魚塚
龍宮寺の本堂、事務所や庫裡も一緒になってるのかな。
三宝大荒神社に参って、細長い境内を奥へと入っていくと近代的で立派な本堂がありました。
龍宮寺の人魚塚
門前の案内看板にあった人魚の図
龍宮寺と寺号を改める切っ掛けとなった博多で捕まった人魚。絵図には全長八十一間と書かれているそうです。1間は6尺、今と同じなら約1.8mで計算すると…145メートル以上という巨体。そんな人魚がここへ持ち込まれ、どうなんでしょ、解体されたのかな…あまり想像したくないね。
同じく門前の案内看板にあった人魚の図
人魚がかかったとの報告を受けた朝廷は、勅使として冷泉中納言が下ってきました。この冷泉中納言にちなんで人魚があがった場所は冷泉津と名付けられ、龍宮寺の山号は冷泉山に。そこから繋がって現在龍宮寺が建っている場所の地名「冷泉町」が残っているんですね。ただ気になるのは京都から博多って何日かかったんだろうね、冷泉中納言は人魚を見ることが出来たんでしょうか。
ちなみに人魚の骨と伝わる骨が龍宮寺には伝わっていて、明治の頃まで縁日では人魚の骨をたらいに入れて水を張り、骨を浸した水を不老長寿、無病息災に霊験ある水として参拝者に飲ませていたそうです。
博多七大観音の一つ、龍宮寺観音の観音堂
1223年建立という観音堂
龍宮寺にはさらに豊臣秀吉による太閤町割り(1587年)頃から博多七観音として多くの信仰をあつめ、現在でも巡礼の場となっているそうです。この観音にも大内政弘が祈願をしています。
観音堂内部
本尊は聖観世音菩薩像、人々の悩みを聞き、苦しみから救うといわれる観音様です。慈覚大師の作と案内に書かれていましたが、そうなると慈覚大師こと円仁の没年が864年ですから1000年以上も前の仏像ということになります。また一説には海中から出現したとも言われているそうです。
小さなお寺に大きなパワー
龍宮寺境内奥から山門方向、先に見えている緑の大屋根は東長寺。
なんと言っても大内政弘が祈願したという三宝大荒神と観音堂ですよ。大内氏と言えば西国の大大名、周防長門を領有し山口を西の京と言われるほどの都市にした実力者。さらに対外戦争にめっぽう強く、応仁の乱で活躍し帰国後は関門海峡を渡って筑前へと侵攻。筑前、豊前、肥前の守護であった少弐氏を降して筑前、豊前を得ると同時に博多の支配者となりました。そんな人が新しい領主として博多に入り、支配者が後退するセレモニーとして読経を行い祈願した寺なんです。
博多の歴史は知れば知るほど面白い、龍宮寺も見るだけだとただの寺、しかし情報を少しでも持っていると楽しさ数倍。色々とストーリーを調べてから参拝する、おススメです。
「龍宮寺」
住所:福岡市博多区冷泉町4-21
※この記事は私が訪れた時のものです、現状と異なる場合があります。最新情報、詳細はご自身で確認することをおすすめします。
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