博多の総鎮守、観光名所であり博多名物、祇園山笠という祭りの中心となる場所。
博多で人気の観光スポット「櫛田神社」と一の鳥居、参道の様子をレポート
博多で一番有名な神社といえば「櫛田神社」ですよね。博多の代表的な祭り「博多祇園山笠」が奉納される神社として有名で、地元の人にとても大切にされています。この神社の建立には諸説あり、現在では平安時代末期、平清盛によって佐賀県神崎市にある櫛田宮から勧進し建立されたというのが通説となっています。
動画で見たい方は、最下段にYoutubeで見つけた動画を掲載しています。
平清盛といえば武家として全国を統一した平家の棟梁。神埼市は鳥羽院が所有する広大な荘園、神埼荘が広がっていました場所。そしてこの荘園の管理を任されていたのが平清盛の父忠盛。佐賀県神埼市と博多の街は、すごい有名人に所縁のある地だったのです。
そして平清盛は当時中国にあった宋という国との交易を神埼で行い、その荷を博多へと運ぶために博多で大規模な港湾整備をしました。博多は平家ととても関りの深い町なんです。
そんな平安時代からの歴史を持つ櫛田神社、今回はあまり取り上げられることのない一の鳥居から参道を歩いて参拝してみます。
櫛田神社の表参道を歩く
櫛田神社参道の一の鳥居があるのは、櫛田神社から北東に約250m(Googleマップのライトモードで計測)ほど行ったところ。大博通り沿い、東長寺の道路を挟んで向かい側にあります。
鳥居の横に立っているレトロなビルも、個性的で渋い、見ごたえ十分。中に入ってみたいけど…小心者なので勇気がありませんw
鳥居の向かい側には東長寺、地下鉄の駅だと祇園駅のすぐ近く。
鳥居から櫛田神社まで真っ直ぐに続く参道、突き当りが櫛田神社です。
櫛田表参道と書かれた表札が掛けられた、街の小さなパン屋さん。鳥居横のレトロビルにあります。
「ぺったんのぱん」という名前の、小さいけど人気の有名店。販売中のパンが、外からでも分かるようになっています。とってもシャレたディスプレイ、店頭に無いパンは扉が閉まるんでしょうか。分かり易くてカワイイ、こういうのも人気の理由なんでしょうね。
こんな可愛くて個性的なパンが売られているんです。カメラを持って立ち寄りたいところなんだけども…小心者なのでナカナカ店に入る勇気がわかない。
鳥居の側でモタモタしていても神社にはたどり着けないので、参道を真っ直ぐ、櫛田神社へ歩いて行きます。途中にあるビルもレトロで迫力満点、昭和ですねショウワ。
レトロと言えば路地、どうですかコレ。お手本のような細い路地、これだけでご飯3杯はいけそうなレトロ感。奥に続くレンガの壁も見事。
こんな所にイタ飯屋さん、隣はバーかな?
角を曲がってみると、とてつもなくレトロな旅館がありました。国の登録有形文化財になっている大正時代の建物をそのまま利用している「鹿島本館」という旅館です。
この先にはかつて鎌倉幕府の統治機関「鎮西探題」があったとされ、筑後(熊本)の豪族である菊池氏が幕府の鎮西探題である北条氏を急襲。博多合戦の舞台となりました。
こちらは創業から約90年の歴史がある箸の専門店「萬はし本店」です。お土産探しに立ち寄ってみるのもいいかも。
立体駐車場の奥には神社があります。
しかし、このレトロな建物が建つ界隈にも、真新しい今風の建物が建ってるんですよね。なんでこんな場所に?と思うほど無粋な建物。そりゃ経済が大切ですけども、同じ建てるにしても、もっと地域の個性や特性を大事にしましょうよ。行政は風致地区として強烈な建築規制をすべきでしょう。
こんなのばっかり建ったら、どこにでもあるような無個性な街になっちゃいます。今風に開発して良い場所と、景観を守るべき場所をしっかり線引きしている京都を見習うべし。
いよいよ参道も終盤、右手に見えているのは博多町屋ふるさと館。正面に櫛田神社が見えています。
楼門をくぐって櫛田神社境内へ
櫛田神社に到着。ドーンと重厚感あふれる楼門、大迫力の門構え。さっそく中へ入ってお参りしましょう。
門の上には恵方盤た取り付けられていて、矢印がその年の恵方を指しています。
門の脇に建つ案内板に、櫛田祇園山笠の絵がありました。
神社東側の門から境内に入り、ちょうど右手、北神門の方角を見てみると大迫力の建物「櫛田会館」。
正面には御手水。
とても綺麗に整備されている境内を抜けて、本殿へと向かっていきます。
櫛田神社の境内図がありました。そんなに広い神社じゃないので、サクッと一回りできるコンパクトさが魅力。
ここで振り返って、入ってきた楼門を撮影。やっぱ迫力あるなぁ。
いよいよ拝殿とご対面、お参りをさせていただきます。この拝殿は、1587年に豊臣秀吉によって再建されたそうです。
博多の町は戦国時代、当時九州最大の勢力を誇っていた島津軍に支配されていました。大分の大友氏からの救援要請を受けた豊臣秀吉は、九州征伐を開始します。それを受けて島津軍は町に火を放って撤退、博多は焼け野原になってしまったんですね。
その後、豊臣秀吉によって町は再興され、太閤町割りによる現在まで続く博多の原型が形作られたんです。
博多っ子といえば頑固、融通が利かない、見栄っ張りというイメージなんだけども、地元の人はユーモアと思ってるんですね実に興味深い。
で、この拝殿に名物となっている風神雷神の木彫りがあります。
風神ですね、顔がひょうきんで可愛らしい。
雷神も顔が面白い、確かにユーモアがある。
櫛田神社に参拝。
櫛田神社は3つあった別の神社を豊臣秀吉がここにまとめたという説が有力で、3つの神社が一つになっています。
中央、正殿には櫛田神社、右に須佐神社(祇園社)、左に天照大神を祀る大神宮。博多山笠で有名な山笠祭りは祇園神社の祭り、いわゆる祇園さん。全国各地の祇園社でも山笠と名の付く祭りは沢山残っています。
拝殿前に50円のおみくじがあったので引いてみた結果・・・び、びみょう
求人「なるべく若きを選ぶべし」って、中年派遣社員の私にはグサリと突き刺さる言葉です。
天は中年オヤジを見放すのか・・・
さて、気を取り直して境内を歩いて行くと、力石という大きな石がありました。どうやら持ち上げて力自慢をする石のようです。
おぉッ、大相撲の連勝記録を持つ昭和の大横綱「双葉山」の名前が彫られています。他にも朝青龍や白鳳、貴乃花などもありました。
常設の飾り山笠。山笠のシーズンになると博多や天神界隈に沢山飾られるんだけども、ここでは常設で展示されています。
恵比寿神社がありました。ごりやくあるといいなぁ…なんせ貧乏なので。
本殿の裏側までグルッと一回りすると
末社がずらりと並び
お稲荷さん。
そして博多塀。博多塀というのは、廃墟となった博多の街を豊臣秀吉が復興した際、瓦礫などを混ぜて塀を作らせたもの。瓦や石が混ざり、独特の紋様になってるんですよね。
大正天皇の行幸記念殿。陸軍特別大演習の際に大正天皇が行幸し、それを記念して建てられた記念堂を移築したそうです。
櫛田の大銀杏と博多合戦
櫛田神社の境内をぐるっと回って、一番興味を引かれたのがココ。櫛田神社の名物「大銀杏」。
銀杏の根元にあるのが元寇時の元船の礎石と、博多合戦の石碑。
博多合戦は櫛田神社のすぐ近くで戦われました。滅亡寸前の鎌倉幕府、幕府の機関であった鎮西探題を天皇支持派の菊池氏が襲撃。幕府軍を追い詰める菊池軍でしたが、守護職であった大友氏と少弐氏に背後を付かれて敗北しました。その首は東長寺の前あたりに晒されていたそうです。
地下鉄工事の際に、それらしき骨が出土して大きなニュースになりました。
この博多合戦では菊池親子の悲しいエピソードがあったりして、なかなか興味深い場所なんです。
他にも境内には入場料300円の資料館があり、近くに博多町屋ふるさと館という施設もあります。少し歩けば御供所町という寺町にも行くことができ、川端商店街やキャナルシティ博多、中洲も徒歩圏内。博多駅周辺はショッピングの街ですが、この界隈は博多の歴史を訪ねる観光スポットになっています。博多を観光するなら、この界隈からスタートするのが良いかもしれませんね。
櫛田神社を撮影した動画
「櫛田神社」
住所:福岡市博多区上川端町1−41
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