博多の中洲、昼間は人も疎らであまり営業している店もないために、出向くことも殆どないのですが、たまに歩いてみると意外と見どころがあるというか、夜では見落としてしまいそうな場所があったりします。
中洲のメインストリート、ぶらぶら歩いて明太子のふくやへと向かっていると「中洲市場」と書かれた看板。こんな場所があったのかと、中へと入ってみる事にしました。
「中洲市場」ふくや発祥の地
中洲市場の入り口。
ちょうど中洲のふくや本店から中洲無料案内所を挟んでお隣、ビルの一階にぽかんと口を開けた中洲市場。看板には魚市や八百屋っぽい名前、そして「ふくや」の文字もあります。
中洲市場の内部。
中へ入ってみると見事なシャッター街、奥に「ふくや」の看板が見えます。ふくやはココ、中洲市場で開業。創業当時のままというわけではありませんが、昭和の面影を残したレトロな商店街。
ふくや中洲市場支店。
いとやという明太子屋さんもありました。
ふくやの前で通路は直角に曲がり、その先に「いとや」という明太子屋があります。この「いとや」は昭和37年ごろから明太子を販売しているお店。ふくやの明太子が売れ始めた頃、「明太子を卸して欲しい」とふくやにお願いしたところ、ふくやから「自分で作ればいい」と製法を伝授されたそうです。
いとやの店内。
知る人ぞ知る明太子の老舗、いとやの明太子。普通の人は知りませんよね、ふくやが元祖なら、いとやは二番目に古い明太子屋さんになるのでしょうか。他にもう一店、この中洲市場には「むかい」という明太子屋さんがあったそうですが、今は見当たりません。むかいのお店は博多の冷泉町でいまも営業中です。
ふくやは自ら元祖を名乗る事も無く、商標を取得するでもなく、とにかくオープンにしたそうです。その結果、福岡には多くの明太子メーカーが誕生し、博多名物として全国に知られるようになりました。
いとやの前にある居酒屋。ダチョウのユッケなど、ダチョウメニューがあるようです。
レトロすぎる電機屋。
さらに先へと進むと、昭和30年代から抜け出してきたんじゃないかと思うような「電光社」というレトロな電気屋がありました。店はとても小さくて、主に電球や電池を販売しているようです。
市場を抜けると、そこは中洲らしい景色。
九州最大の歓楽街、中洲の一角。
さほど長くない市場、抜けてみるとそこに広がるのは”いかにも”中洲らしい風景。
中洲市場、ビル裏にある入口。
出てきたところを振り返ってみると「中洲市場入口」と書かれた小さな看板がかかっていました。昭和20年代や30年代頃はこの辺りにも人が沢山住んでいたようですが、今は周りの様子を見る限り、八百屋や魚屋が営業できる場所じゃなくなってますね。
中洲市場は戦後の引揚者向けに用意された市場でした。大戦の勃発から敗戦、そして高度経済成長へ。日本の動乱期を懸命に生き、そして日本の発展を支えた人たち、その生き様の残滓。
九州で最も華やかな街の片隅に、こういう場所が今も残されている。この地に立って過去に思いを馳せると、なんとも感慨深いものがありますね。
「中洲市場」
住所:福岡市博多区中洲2丁目6
※この記事は私が訪問した時のものです、現状と異なる場合があります。
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