博多歴史観光「御供所町」周辺の寺社と見どころをまとめて紹介

「御供所町」博多の寺町、歴史スポットとして有名なエリア

貝原益軒の「筑前国続風土記」に記されている内容によると、昔、筥崎八幡宮の御供え物を調えた(必要な物を取り揃えた)ので、「御供所」という名が付いたとされる。

Wikipediaより

ということで、かつては筥崎宮のお供え物を取りそろえる場所であったという御供所町。ここは博多の東の端、すぐ脇は三笠川になっています。黒田長政が治める事となった福岡藩時代になって移されてきた寺もあり、博多東部の防御設備として川沿いに寺が立ち並ぶ地域。境界に寺を並べて防衛線とする。こういう寺の配置は博多だけでなく、大阪など多くの城下町で見られます。

御供所町というのは現在も使われている地名ですが、寺町といった場合には隣の上呉服町までを含めた地域を指すことが多いので、この記事でも上呉服町までを含めて見どころを紹介します。

「妙楽寺」中世博多の外交施設でもあった寺


妙楽寺の山門、この先に続くのは古き時代の風景

妙楽寺は非常に歴史のある寺で、中世博多において重要な役割を果たした寺でした。1316年博多の海岸近くに建てられた寺で山号を石城山といいます。石城は石築地(元寇防塁)にちなんだ博多の通称で、現在も地名が残っていて門前町もあったということですから、かなり大きな寺だったのでしょう。

博多の砂浜、港の近くにあった石築地の近くに石垣を組んで建てられた寺であったことから、平時は中国の王朝「明」から来る使節の宿泊所とするなど外交施設としても使われていたそうです。御供所町の町情報ポータル「御供所」によると妙楽寺貿易という名前が残っているほど、鎌倉時代末期や室町頃は貿易が盛んだったのだとか。妙楽寺が建てられた時代である鎌倉時代以降は探題が置かれ、九州を実効支配するための中枢となった博多ですから、有事の際には砦としての機能も持っていたと思われます。

ちなみに探題が置かれたのは京都六波羅と博多のみ。鎌倉幕府にとって貿易都市博多は、朝廷がある京都と同等とみなすくらいに重要な都市だったと思われます。

妙楽寺がこの場所に移されたのは初代藩主入国後、福岡藩の時代。

妙楽寺9
塔頭も含めて美しい妙楽寺の境内。

山門をくぐって一歩境内に踏み込むと、そこは時代劇のセットのような場所。まるでタイムスリップしたような光景に驚きました。周りには高い建物も少なく、塀に囲まれて続く通路と瓦屋根。とても美しいお寺。

和菓子の「ういろう発祥の地」と言われていますが、京都を発祥とする説もあり。発祥という割には博多でういろうは有名じゃないですよね、京都には江戸時代から続く有名なお店がありますけど…

妙楽寺12
本物の博多塀に出会った気がする

妙楽寺最大の魅力はこの境内の風景なんだけども、次いで注目したいのが博多塀。博多塀は戦国時代の戦乱で焼け野原となり荒廃した博多を豊臣秀吉が復興する際に、建物の残骸や瓦、石などを混ぜて塀を作らせたもの。なので壁の中にいろんなものが混ざり模様のようになっているんです。

今でも各地に残っているのですが、ほとんどが綺麗すぎるんですよ。焼け野原になった町を復興させるのだから間に合わせみたいなこともやったはずなんだけども、瓦などが形が揃い過ぎていたり、芸術的というか綺麗すぎる模様になっていたりするんですよね。

その点この妙楽寺にある博多塀は割れた瓦や石など、残骸としてのリアリティがハンパない。密度が濃かったり薄かったり、大きかったり小さかったり、これこそ博多塀の本当の姿なんじゃないかと思える博多塀があります。これは一見の価値あり、石なんて黒くすすけてるように見えて、焼け落ちた町を連想させます。

妙楽寺19
妙楽寺裏に建つレトロな巨大建築物は見応え満点。

そしてハカテン的に妙楽寺最大の見どころがこの墓所とレトロで巨大な建物とのコントラスト。凄いでしょこの画、新旧それぞれ歴史ある墓石と周りを囲むレトロな煉瓦塀。そして巨大な工場なのか倉庫なのか、煙突付けて蒸気を出せばスチームパンクの世界になりそうな圧倒的な存在感の建物。

この墓所には豊臣秀吉の九州仕置きから朝鮮出兵まで、その兵站を支えた博多の大商人「神屋宗湛」の墓や福岡藩士の墓があるそうです。

しかし背景と言ったら所有者に失礼かもしれないけど、墓地のバックに建つ建物がステキ過ぎて…写真じゃうまく伝えられないかもしれないけど、実際に見たら圧倒されますよ、この光景。

妙楽寺26
妙楽寺裏の建物を正面から見に行きました。

あまりにも見事な建物だったので、裏に回って正面から見てきました。まだ現役で使われている建物で、煉瓦に木枠の窓など本当にレトロ、なんとか残して守ってもらいたい。

ここに来る途中の道も鍵の字状に直角カーブしたり、古い木造長屋が残っていたりと歴史を感じる素敵なスポット。鍵状に曲がる道は町を守るための防御機構で、先を見通せないようにして伏兵したり敵の勢いを殺したりした昔の街並み特有の道。なんの資料も石碑も歴史を感じさせるももないけども、これも立派な博多の歴史遺構なんですよね。

妙楽寺はなかなか見どころのあるお寺、ぜひ立ち寄ってもらいたい場所です。

「妙楽寺」
住所:住所:福岡市博多区御供所町13−6

Googleマップへ

妙楽寺の紹介記事↓

「聖福寺」日本最初の禅宗寺院


有名な聖福寺の山門、明治時代に再建されたもの

聖福寺は1195年、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝から与えられた土地に日本初の禅宗寺院として建立されたお寺。中世から近代にかけての聖福寺は寺内に寺内町を持ち、三十八もの塔頭寺院がならぶ広大なお寺でした。というか、いまでも6寺も塔頭があって広大な境内地を持つお寺。境内一体は国の史跡に指定されています。博多の街中にありながら、ほんと世界が違うというか静かな場所。

塔頭というのは大きな寺の中に建つ系列のお寺みたいな感じ。

寺内には古い建物が数多く残っているものの、一般拝観を行っていないために殆ど見る事が出来ません。

聖福寺3
聖福寺の総門、一般拝観者の入り口

聖福寺の総門は豊臣秀吉による九州仕置き、そののちに筑前を収めた小早川隆景によって築城された名島城の門を移築したと伝わる。ということは400年くらいの歴史がある門。

いきなり入り口から凄いんです。

聖福寺2
菊の紋が刻まれた勅使門

天皇の勅願所にある勅使門、聖福寺は勅願寺であるため立派な門があります。1700年代初頭に建てられたとされる門、向かって右に建っている石碑には「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」と彫られています。これは後鳥羽上皇が日本で最初の禅寺であることから贈った号。

勅使門から西へと伸びる道は櫛田神社の脇を抜けて、川端商店街のアーケードまで真っ直ぐ突き抜けて那珂川に至る。この道は中世博多の町を整備する際の基準線として使われた道です。


美しい外観の仏殿

最初の山門とこの仏殿が一般拝観で見る事の出来る建物の目玉的な存在。仏殿に配されている丸窓がハイカラというか、シャレた建物です。1585年に中興さてたという建物で、2012年に大規模な増築をしています。そのためか非常に綺麗で新しい建物に見えます。この仏殿の奥に寺の本体というか方丈など巨大な歴史建造物が立ち並んでいるのだけども、一般の人は入る事は出来ません。境内も広くて雰囲気は凄く良いんだけども、ほとんど見学できないというのが残念。

聖福寺22
見応えのありそうな建物の屋根が見えているだけに…

お寺が悪いという事じゃないんですよ、観光が目的で運営している施設じゃないですから。ただやっぱり歴史ある立派な建物が塀の向こうにずらりと並んでいたら、見たいと思うのが人情と言いますか、有料でも見たいと思っちゃいますよね。

「聖福寺」
住所:福岡市博多区御供所町6

Googleマップへ

聖福寺の紹介記事はコチラ↓

聖福寺は観光だけでなく有料で写経が出来たり、座禅会なんかもやっています。で詳しくは公式サイトをご覧ください。

聖福寺公式サイト⇒http://www.shofukuji.or.jp/

節信院には尊王攘夷に燃えた加藤司書の墓があります

節信院5

節信院は聖福寺の境内に建つ塔頭寺院の一つ、綺麗に整備された美しい寺院です。この寺院は幕末期の福岡藩家老、加藤司書こと加藤徳成の墓がある事で有名。幕末の福岡藩といえば藩論をまとめきれず、最終的には幕府支持というか事なかれ主義を貫いてしまった事で地味なんですよね。明治維新後も佐賀で勃発した佐賀の乱鎮圧に兵を出すものの、小銃すらまともに持たない少数の佐賀藩兵に手も足も出ずにグダグダやってましたし。圧倒的に優れた武装をしていたんですけど、佐賀の抜刀隊にやられて銃を奪われて逆撃される始末。まったく福岡藩兵は…

そんな福岡藩において尋常ならざる熱意をもって尊王攘夷を唱えたのが加藤司書。外国との戦闘も想定していた過激な人で、最悪の場合は福岡城を放棄する事態も想定し、藩主を守るための逃げ城を現宮若市の犬鳴という場所に城を築いた人。筋金入りの攘夷論(鎖国を守り外国を打ち払うという論)者でした。

参考:宮若なび福岡藩犬鳴御別館


聖福寺の境内を通る道路、このような道路が整備されるほど聖福寺は広いのです。

節信院が建っているのは聖福寺の境内地の中、とにかく聖福寺の広大さに驚くばかり。綺麗に整備されていて周りには塔頭寺院が立ち並ぶ、とても静かで散策に最適。

節信院8
加藤司書の墓、罪を赦され正五位の官位を送られています。

幕末の福岡藩内では幕府に従うべきという佐幕派と、外国船を打ち払い天皇を中心とした国家を目指すべきだという尊王攘夷派が激しく争っていました。加藤司書は福岡藩尊王攘夷派の首領格、勤王党を率いるリーダー的な存在でした。

結果として尊王攘夷派は権力闘争に敗れ、勤王党の藩士140人が逮捕、捕縛。加藤司書以下7名が切腹、14名が斬首、15名が流刑という厳しい処分が下されました。

加藤司書が切腹したのは今は無くなっている「天福寺」、大博通り沿いにある櫛田神社の一の鳥居にほど近いビルに加藤司書が残した辞世の句「君かため盡す赤心(まごころ)今よりは、尚いやまさる武士の一念」という言葉と共に、石碑が建っています。

「節信院」
住所:住所:福岡市博多区御供所町11-20

Googleマップへ

節信院を紹介した記事↓

鎌倉幕府の残滓、博多に刻まれた三つ目鱗


北条家の三つ目鱗紋、関東の名門家の家紋が刻まれた円覚寺

博多の町を歩いていると、時どき北条家の家紋が刻まれている寺を見かけるんです。北条家といえば鎌倉幕府の執権、将軍家衰退のあと幕府の実権を掌握した一族ですよね。戦国時代になれば後北条といって小田原城の北条家が出て来るんだけども、そもそも博多とどんな繋がりがあったのか不思議だったんです。

博多の歴史に興味を持たなければどうという事も無く見逃していたと思うんですけど、このサイトを始めてから色々と調べるようになり、博多は鎌倉幕府との結びつきが非常に強かったという事が分って来たんです。というか現在の博多の原型というか、博多が一番賑わっていたのが鎌倉幕府から室町幕府の戦国以前までじゃないかと思うんです。2000年以上前から栄えていたとは言うけども、それ以前は大宰府が九州の中心にあり博多は貿易港でしたが佐賀の神埼なども海外貿易が盛んだったようです。

鎌倉時代に入り幕府は鎮西奉行を博多に配置し九州の守護や御家人の統制にあたらせ、大宰府の機能も引き継いで政治経済の中枢として整備したようです。聖福寺や承天寺、妙楽寺など博多を代表する鎌倉時代に創建された寺院が沢山ありますしね。元寇後に鎮西探題、鎌倉幕府が倒れた後は室町幕府により九州探題が置かれ九州の中心地として博多は発展を続けます。しかし戦国期には相次ぐ戦乱で荒廃し、豊臣秀吉による再建で復活するかに思えましたが江戸時代の鎖国政策で九州経済の中心としての役割は長崎に移り、福岡藩の城下町としてそれなりの都市ではあったんでしょうけども、それほど突出した存在ではなかったようです。

そんな博多の黄金期ともいえる時代を築いた鎌倉幕府、その名残がこの鎌倉幕府執権である北条氏の家紋なんですね。

円覚寺8
美しい境内を持つ円覚寺、正面の建物は庫裡という建物

円覚寺は鎌倉時代中期、五代執権北条時頼によって創建されました。北条時頼は元寇を撃退したことで有名な八代執権北条時宗の父親。偶然見つけた三つ目鱗紋に惹かれて寺に入ってくると、とんでもない人物にぶち当たったようです。

そしてこの寺も1636年、福岡藩になってから博多の東側を守る寺町、現在地の御供所町へ移転しているんです。


細部まで手入れが行き届いた円覚寺の庭 

円覚寺は千利休の教えを受け継ぐ茶道南方流で有名なお寺でもあり、隅々まで手入れされた庭がとても美しい寺です。

大きな寺ではないけども、本当に綺麗なお寺なので一見の価値あり。

「円覚寺」
住所:福岡市博多区御供所町13-11

Googleマップへ

円覚寺の紹介記事↓

円覚寺公式サイト⇒http://www.engakuji.org/

「東長寺」博多大仏と地獄めぐり


朱と金が美しい東長寺五重塔

大博通り沿いに建っていてバスから見える見事な寺院、日々多くの観光客が訪れる人気の寺院が東長寺です。806年に弘法大師空海によって建てられたと伝わる寺院で、御供所町にあるお寺の中でも最古級の歴史あるお寺。

境内には見事な五重塔が建っていまして、2011年に完成した新しい建物ではあるのですが、本来の五重塔とはこんなに見事なものだったのかと思わず見とれてしまいます。仏教が華やかだったころの姿を今の時代に見せてくれる五重塔、博多の寺院を紹介する写真としても有名です。


東長寺の大仏は撮影禁止の為、福岡市のフリー素材を利用:提供福岡市

東長寺と言えば何と言っても日本最大の木造大仏「博多大仏」ですね。この大仏も新しい物ではあるのだけど、正面に立って大仏と目を合わせるとジッと見つめられているような、心の全てを見透かされているような不思議な感覚を覚えます。そういう効果も計算して建てられているのかもしれませんが、とにかく行くことがあったら正面に立って大仏の目を見てください、とても神秘的な体験ができます。

さらに大仏の台座は地獄めぐりのアトラクションとなっているので、合わせて楽しむことができます。

東長寺22
寺の外からも見える巨大な福岡藩主の墓所

東長寺には福岡藩主黒田家の墓所もあり、葬られているのは二代忠之、三代光之、そして八代の治高。藩祖である黒田官兵衛や長政の墓は崇福寺にあります。刻まれている文字を読んでみると時代によって藩主を「国主」と書いたり「太守」と書いたりしていて、この違いがどこから来るんだろう?などと考えてみるのも面白いんです。

このお墓は寺の外からも見えるくらい巨大なので、大名の墓とはどんなものなのか、立ち寄りやすい場所なのでぜひお参りしてみてください。

参考:よかなび崇福寺

「東長寺」
住所:福岡市博多区御供所町2−4

Googleマップへ

拝観時間:9:00から17:00

東長寺の紹介記事↓

御供所町でハカテンがおススメするお寺の紹介が終わると、最後は博多のレトロゾーン上呉服町を次のページで紹介します。

次のページへ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でハカテンをフォローしよう!

1

2

3

関連記事

  1. 舞鶴レトロ5

    福岡天神にある西郷隆盛ゆかりの地をまとめてみた、福岡の幕末維新

  2. よりあい対馬18

    博多天神にあるアンテナショップ、九州各地の特産品が集結!5店舗+1

  1. 青木堂

    「一善めし青木堂」昭和レトロな大衆食堂!福岡天神の渋い飯屋

    2018.04.25

  2. 「龍宮寺」博多の守護神『三宝大荒神社』と人魚伝説で有名なお寺

    2018.04.24

  3. 「本覚寺と入定寺」歴史を感じる博多大水道の跡とレトロな街並み

    2018.04.23

  4. ジョーキュー13

    「ジョーキュー醤油」歴史観光も出来る!福岡・大名にある旧城下町…

    2018.04.22

  5. 「平和楼」ダールー麺。福岡天神のど真ん中、あの中華料理店

    2018.04.19

  1. 青木堂

    「一善めし青木堂」昭和レトロな大衆食堂!福岡天神の渋い飯屋

    2018.04.25

  2. 博多の老舗ソースメーカー「コックソース」を知ってるかい?美味し…

    2018.04.18

  3. 昭和レトロ!ノスタルジックな博多うどんの老舗「因幡うどん渡辺通…

    2018.03.27

  4. デザインポケット

    キャナル博多の絶対おススメ店!食品サンプルの雑貨がすげぇ「デザ…

    2018.03.24

  5. 「福栄組合 博多川端店」はかた地鶏専門店の『ひつまぶし丼』

    2018.02.21

  1. ジョーキュー13

    「ジョーキュー醤油」歴史観光も出来る!福岡・大名にある旧城下町…

    2018.04.22

  2. 「三角市場」福岡のディープ観光スポット!昭和レトロな闇市の末裔

    2018.03.30

  3. 福岡の幕末!西郷隆盛を匿った江戸時代から続く老舗「福萬醤油」

    2018.03.05

  4. 「若八幡宮」博多の厄除け神社!江戸時代の力自慢が奉納した力石は…

    2018.01.29

  5. 「石堂口門跡と濡れ衣塚」殿様が通った博多の出入り口と濡れ衣発祥…

    2018.01.25