「上呉服町」博多の旧市街、鎌倉時代の街並みが残るレトロな風景

弥生時代から港町として栄えた博多、中世鎌倉時代には現在まで続く博多の原型が出来ていたようです。

博多に残る中世の面影「上呉服町」

弥生時代の遺跡が街の中心部に広がっていたり、博多の町は大きな遺跡の上にある古代から続く古い町。大和朝廷の時代には大宰府の外港として栄え、中世になると中国大陸との交易拠点となりました。そして鎌倉時代、外敵からの侵攻を受けた鎌倉幕府が国土防衛の最前線として大規模な整備を行います。京都にも置かれた政治と軍事を司る幕府の中枢機関である探題が置かれ、元寇防塁で有名な石築地を海岸線に築き、そして川の流れを変えて堀を巡らし土塁を築き、博多の町は鎌倉幕府の本拠地鎌倉を手本にした本格的な城郭都市へと変貌したのです。

聖福寺伽藍の並び、そこから西へと真っ直ぐ続く通りを基軸線として碁盤目状に整備された都市。それは現在まで続く博多の原型でした。

鎌倉時代に整備された博多の基軸線

上呉服町1
博多区御供所町、大博通から聖福寺へと続く道。

上呉服町2
博多町割りの基軸線を知らせる電柱看板。

鎌倉時代当時とほぼ同じ場所を通る聖福寺前の道、この道が鎌倉幕府が整備した博多の基軸線となった道です。聖福寺門前の看板には地元市民団体が取り組む博多旧市街全域を博物館にしようという取り組み、ハカタリバイバルプランによって電柱に取り付けられた看板があります。この市民団体は活発に活動しているようで、博多の様々な場所にこのような看板を見ることができ、博多の歴史を知るうえで街歩きにはには欠かせない貴重な情報源。

上呉服町5
鎌倉時代に整備された博多の基軸線と直交する大通り。画像はGoogleマップを加工。

聖福寺の門前を海へと続く博多を縦に貫く道、基軸線の東西の道と直交している道なんですけども、この道は博多の南側入り口である辻堂口から海へと抜ける鎌倉時代の大通りでした。ぱっと見ただけでは気づかないかも知れないけども、これも立派な鎌倉時代の遺構。こんな場所が博多には残っているのです。

鎌倉時代の町割りが残る聖福寺の旧寺内町


聖福寺の北端付近にある西門。

博多の魅力を伝える博多街歩き、今回のスタートはここから。鎌倉時代の面影を残す町割りとレトロな建物が立ち並ぶ、聖福寺北西側に隣接する上呉服町を散策します。

上呉服町7
聖福寺西門の前に建つ大東亜戦争記念の石碑。

西門の前には大東亜戦争記念と書かれた石柱、側面には昭和十六年十二月八日と彫られています。ちょうど太平洋戦争が始まった日、真珠湾攻撃の日です。

上呉服町8
聖福寺西門の前、上呉服町。このあたりは鎌倉時代の町割りが残る旧聖福寺寺内町、貴重な歴史遺産です。

上呉服町9
建物は流石に昭和ですが、町割りは鎌倉時代の姿を留める貴重な場所。


現役で使えそうな井戸のポンプがそのまま残り、古い建物が立ち並ぶ。まるで時間が止まっているようなノスタルジック空間。

西門の前に広がるレトロな風景、ここはかつて聖福寺の敷地内で寺内町とよばれる寺の中にあった町です。全盛期には方8町ですから長い辺が約1キロもある広大な敷地を持ち、その中に塔頭(大きな寺の中にある小さな寺)が38寺、大工や鍛冶の屋敷を含む賑やかな町がありました。その後4町に敷地が縮小されますが、それでも寺内町や塔頭が建ち並ぶ巨大な寺院であることに変わりはなく、その一部が今でも上呉服町に残っています。

上呉服町10
古い町並みの中に建つ西教寺

旧寺内町の中に比較的大きなお寺がありました。寺号は西教寺、1603年(慶長8年)に建立された比較的新しいお寺です。慶長8年は徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が始まった年。江戸時代の元年ですね。本堂は1700年代後半に建てられたもので、200年以上の歴史があります。黒々とした深い色合が歴史を感じさせる重厚な建物。とても美しいお寺です。

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西教寺の門前から続く普賢堂通り。

西教寺の門前から西へと続く道は普賢堂通りと呼ばれる博多で最も古い道の一つ。道幅から古い町がそのまま残っているのではないかと思われます。この先には聖福寺の塔頭の一つである叶院(普賢堂)があり、毎年7月24日に地祭の普賢堂千灯明のお祭りが行われています。

普賢堂通りと西教寺の記事はコチラ↓

さすがに鎌倉時代当時の建物が残るという事はありませんが、町割りはほぼ当時の姿を留めているという聖福寺西門の周辺地区。聖福寺の北西に隣接する地域ですが、見るからに古いと分かる狭い道、立ち並ぶレトロな建物、雰囲気抜群の街歩きスポットです。聖福寺に来たならば、ぜひ足を延ばしてもらいたいですね。

西門通りの要塞線、元寇第二防塁跡

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博多の大土居(土塁)の跡、博多区上呉服町の西門通り。

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元寇第二防塁と書かれた電柱の看板。

聖福寺西門から寺内町地区を抜け先へと歩いて行くと、西門通りという古い商店街の面影を残す通りに出ます。この西門通りは聖福寺の北西側を博多の基軸線に並行して築かれた巨大な土塁跡。断面の台形が下底25メートル、上底8メートル、高さ7メートルという巨大なものでした。

一度目の元寇「文永の役」を受けて、鎌倉幕府は中国大陸の巨大王朝「元」の再侵攻に備えて最前線である博多を城郭都市とするために大規模な開発を行います。最も有名なのは海岸線に築かれた元寇防塁(石築地)ですが、その後方に博多中心部を守るための要塞線ともいえる防御施設を整備しました。その一部がこの西門通りとして残っています。

上呉服町16
西門通りから海の方向、かなり高低差があります。

西門通りに直交する道を見てみると、海の方向へ下っているのが分かります。かなりの高低差、土塁が築かれた当時は下り切った先に巨大な堀がありました。鎌倉時代の博多は沿岸部の沖の浜と博多中心部に別れており、沖の浜の上陸阻止地点には元寇防塁を築き、その後方に敵を撃破するための巨大な防衛線を用意していました。元の再侵攻に対する迎撃戦では沖の浜の防塁で上陸阻止戦闘を行った後、後退してくる部隊を糾合して決戦を挑むための主戦場と想定していたのではないでしょうか。

上呉服町17
西門通りに残る見事な町屋「吉住家住宅主屋」国の登録文化財です。

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大正2年創業という老舗蒲鉾店「西門蒲鉾」

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西門蒲鉾店の脇から聖福寺方向、先に見えているのがスタート地点である聖福寺西門です。

西門通りを紹介した記事はこちら↓

博多を守る巨大な堀「博多大水道」跡

大水道23
上呉服町の北部にある本岳寺。

本覚寺と入定寺10
豪華な装飾を施された本堂は一見の価値あり。

西門通りを越えてさらに先、間もなく上呉服町の端に辿り着くというところに本岳寺というお寺があります。このお寺はもともと祇園町(櫛田神社などがある地域)から福岡藩成立時にここへ移されてきたお寺。

大正5年に建てられた本堂の装飾は豪華で見応えがあります。まだガラスが高価で大きなガラスが作れなかった時代、小さなガラスが大量にはめ込まれた本堂引き戸も見事なので近くに行ったらぜひ見てもらいたいですね。

大水道24
本岳寺の隣に建つ入定寺。

本岳寺の横に建つのは黒田長政ゆかりの寺「入定寺」です。徳川家康お気に入りの僧で、家康と共に戦場に出て吉兆を占うなどした僧が入定(即身仏になる)した場所に建てられた寺。

大水道25
本岳寺と入定寺の間にある道。

江戸時代初期頃の二つの寺、この寺が鎌倉時代とどう関係あるのか…なんですが、ぶっちゃけ関係ありません。それよりも二つの寺の間にあるこの細い道。この道こそが鎌倉時代の遺構なんです。江戸時代には博多大水道といわれる水路が通っていた場所、多くが失われていきましたが一部は1990年代後半まで残っていました。

上呉服町20
元寇防塁、掘、土塁の位置関係(想像図)。画像はGoogleマップを加工

筆者は研究者でも何でもなくただの素人ですが、中世博多史研究の権威である佐藤鉄太郎氏の著書にある元寇防塁、堀、土塁という防衛線が築かれていたという説を元に推測して位置関係を地図に落とし込んでみました。あくまでも本を読んでの推測なので正確性は保証しません。

ただ中世博多がどのような街であったのか、本当に資料が乏しいのです。通説のほとんどが江戸時代に書かれた書物に準拠していて、詳しいところには全く触れていません。結論は分からないという事なんです。けどもそこを曖昧にせずに正面から取り組んで深く分析、研究をしている研究者が佐藤鉄太郎氏以外に見当たらない状況。他に中世の博多を研究する研究者が見当たらないので、当サイトでは佐藤鉄太郎氏の著書「元寇後の城郭都市博多」を元に記事を書いています。

博多大水道跡を歩いて見てきた時の記事はこちら↓

元寇の際、博多を守るために九州各地から軍勢が集結しました。元寇の主戦場となった筑前の守護である少弐(武藤)氏、豊後の大友氏、肥後の菊池氏、薩摩の島津氏などなど、そうそうたる軍勢です。その数は数万に及び、それらの軍勢を箱崎から博多を中心とした地域に展開するためには、宿舎や物資の集積場など大規模な軍事施設が必要になるわけで、寺を本陣とするのは当然として、陣城のような簡易城郭などが築かれたはずです。

なので博多の町が城郭都市として城塞のように整備されたというのは、説得力のある説なのではないかと思われます。

鎌倉時代の道に面したレトロな博多うどん

みやけうどん2
聖福寺門前から海へと続く鎌倉時代の大通りに面して建つ「みやけうどん」

上呉服町に残る鎌倉寺時代の街並み、レトロな建物や通りが残る旧市街「上呉服町」を散策してきたわけですが、最後にとっておきのグルメスポットを紹介したいと思います。このお店は「孤独のグルメ」というドラマにも取り上げられたこともあるので、知っている方もいるかもしれませんが大正時代に建てられた町家を使った博多うどんのお店。

みやけうどん7
極太で柔らかい博多うどん

このお店の特徴はなんといっても柔らかすぎるくらいに柔らかい博多うどん。しかもうどんが太い。やさしい滋味系のダシとムニュムニュした柔らか極太うどん。他では味わえない味。

みやけうどん3
みやけうどんの店内

店内もこの通り、まるでタイムスリップしたようなレトロなお店。古い町並みを楽しんだ後は、やっぱこういうノスタルジックなお店で締めたいですよね。

みやけうどんのレポート記事↓

ほんとに雰囲気がいいというか、後付けじゃないリアルなレトロがここにあります。

博多の旧市街は歴史の塊

という事で博多区の上呉服町を歩いてみました。福岡の人に話を聞くと、福岡にはショッピング以外の観光スポットは何も無いというんですよ。確かにパッと見て分かり易い観光スポットは少ない、特に古い町なのに文化財などが極端に少ないとは思います。それは自分たちが壊してきたんだからしょうがない。ただ文化財にならないような、町割りや各地に伝わるエピソードなどは十分に歴史を感じさせる町だと思うんです。

まだまだ博多について知らないことだらけですが、素人歴史ファンの一人として博多を歩き、見た物や聞いたことをこのサイトで共有していきたいと思っています。博多は面白い、けど分からない事が多すぎる。もっともっと知れば面白さは何倍にもなるはず。きっと、メイビー…



「上呉服町の街歩き」

最寄り駅:市営地下鉄祇園駅から呉服町駅

上呉服町の場所(Googleマップ)

Googleマップへ

 

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