旧博多駅があった祇園、駅前繁華街の面影が今も残るレトロな街並み

祇園レトロ

博多といえば博多駅、あの駅前の賑わいを思い浮かべる方が多いと思いますが、もともと現在の博多駅が建つ場所は博多ではなかったんです。博多の町は現在の博多駅から500mほど北西方向にずれていて、現在でいえば承天寺という寺が建っている場所が博多の入り口でした。博多駅が現在の場所に移転したのが1963年(昭和38年)のこと、それまでこの場所は田園広がるのどかな場所だったんですね。

2000年といわれる博多の歴史、その中で博多の中心地は現在「祇園・冷泉町・上川端町」と言われる地域。その中で明治から昭和にかけて最も賑わいを見せた旧博多駅前、今もレトロな繁華街の面影を残す祇園の街を歩いてきました。

祇園に残る寂びの風景

櫛田神社16
櫛田神社の門

祇園という場所は古来から栄えた博多のちょうど南端部あたり、博多区祇園の中にはかつての博多と外を分けていた堀が通っていました。祇園という地名は「祇園社」からきていると思われ、博多の祇園さんといえば櫛田神社のこと。現在は祇園の北に隣接する上川端町にあり、古くから賑わった博多の鎮守です。

櫛田神社を紹介した記事「「櫛田神社」を一の鳥居から参道を歩いて参拝、博多の歴史観光スポット

また櫛田神社の西側にある川端商店街は、かつて海に面した浜になっており櫛田浜とよばれていました。櫛田神社の北には通りを挟んで大乗寺が建ち、そこには博多の西側入口に当たる櫛田浜口が設けられ、多くの人や物が出入りしていたそうです。

大乗寺跡を取材した記事「「大乗寺跡」鎌倉幕府が残した中世博多の遺構、川端商店街スグそばの石碑群


川端商店街と中洲の間を流れる博多川、中洲がまだなかった時代は海岸になっていた場所で「櫛田浜」と呼ばれていました。

川端商店街を紹介する記事「博多の「川端商店街」グルメが超充実!普通の商店街とはチョット違う。

大乗寺は鎌倉時代に鎮西探題の指揮下にあった武士たちの菩提寺となり、櫛田神社と大乗寺の間を通る道は鎌倉幕府が行った博多の区画整理事業において基準線となった道路。この道は現在もほぼ当時のまま残っていて、川端商店街から櫛田神社と大乗寺跡の間を通って真っ直ぐ聖福寺の勅使門に通じています。

さらにこの基準線となった通りに面して博多を統治した鎌倉幕府の地方行政府「鎮西探題」があり、有名な博多合戦の舞台として今に伝えられています。この鎮西探題の敷地はは上川端、冷泉町、そして祇園に跨った広大な敷地を持つ巨大施設でした。

櫛田浜口と鎮西探題を舞台にした大きな戦い「中世博多の古戦場、菊池一族と幕府鎮西探題の戦い「博多合戦」」の記事。

また鎌倉時代以前は櫛田浜周辺に中国大陸から来た商人が住み着き、荷揚げ場などが整備された貿易港の中心地となっていた場所。袖の湊は歌の世界で使われていただけで実際には存在しなかったというのが通説ですが、もしそう呼ばれる港があったのならばこの櫛田浜ではないかと思われます。

畑内稲荷神社3
博多城の郭内にあったと伝わる内畑神社

祇園には戦国時代に巨大な城が築かれ、その名を「博多城」といったそうです。築城したのは豊後の守護大名大友宗麟配下であった臼杵鑑続(うすき あきつぐ)、臼杵安房守と呼ばれた人物で博多の南側を守った房州堀を整備した人として有名です。

この位置や規模からして、鎌倉時代の九州を統治する行政府「鎮西探題」の跡地を利用して再整備したのではないかと推測しているのですが…どうなんでしょうね。鎮西探題は行政府としての役割と武者所として軍事を司っていた機関であるうえに、実際に戦闘も行っている場所ですから堀や塀、櫓などある程度の防御機構を備えていたと考えられます。

博多城に関してはコチラの記事「「内畑稲荷神社」福岡博多にあった幻の城『博多城』の痕跡

鎌倉幕府は一度目の元寇、文永の役以降に博多の町を城郭都市て大規模な整備を行ったという説があります。その際に川の流れを変え、堀を設けて博多全体を一つの城郭のように整備し、現在まで続く博多の原型を作りました。その跡を大友氏の家臣である臼杵安房守が再整備し、その中心的な城館があった場所を博多城。元々あった堀もそのまま活用して「房州堀」という名を残したのではないかと考えています。

あくまで筆者の推測ですが、とにかく古くから開け博多の中心地として栄えた祇園とその周辺。観光スポットも数多く存在している場所、街歩き好きにはたまらないスポットなのです。

かつて博多駅は祇園にあった

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博多区博多駅前1丁目、出来町公園に建つ「九州鉄道発祥の地」と掘られた記念碑。

最初の博多駅は1889年(明治22年)に現在の博多駅前1丁目にある出来町公園付近に建てられました。九州鉄道発祥の地と書かれた記念碑がありますが、これはどうなんでしょう…最初の路線であることは間違いないのですが、九州鉄道0メートル地点は門司にあるます。なので発祥というなら北九州市の門司だと思いますね。

初めて九州に鉄道を敷設したのは九州鉄道という民間会社。門司から久留米までの区間で開業する予定でしたが、筑後川を越えるのに手間取り、久留米駅は完成していたものの筑後川手前の千歳川仮停車場までの間で開通しました。開業の1年後には博多駅を拡張、現在の祇園に駅舎が建てられました。このときの駅舎を初代博多駅としているようです。

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昭和36年福岡市の地図、博多駅部分

昭和36年の地図を見てみると、現在のキャナルシティから東、櫛田神社の南にある万行寺の南側、東の端は承天寺前の辻の堂口と呼ばれた博多の入り口付近。博多の町から南側の堀を出てすぐの場所に、博多駅がありました。建設当初は博多の外にでてスグ、周りは田畑が広がっていた場所だったそうです。

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旧博多駅の場所(イメージ図)画像:Googleマップより

現在の地図に落とし込んでみると、旧博多駅は現博多駅から北西方向に少しずれた場所になります。画像はマウスを使って手書きしたので正確性を欠いています、イメージとして見ていただければと…こんな感じというのを掴んでいただければ嬉しいです。

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旧博多駅の痕跡、西鉄博多駅前ビル。

今はもう旧博多駅の痕跡は殆ど残っていないのですが、道路など僅かに残っている場所がありました。なかでも最も分かりやすいのがココ、西鉄博多駅前ビルが建つ三角形の区画。昭和36年の地図を見ると承天寺から博多駅のロータリーに入る市電の線路と、上辻の堂口からロータリーに入る道路の間。ここに三角形の土地があるのですが、現在もそのまま残っています。

ちょうど今は大博通りの「商工会議所入口」交差点が旧博多駅前の広場でした。

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旧博多駅1番ホームの写真。JR博多シティ屋上つばめの杜広場で撮影。

1890年(明治23年)に祇園に建てられた駅舎は1909年(明治42年)に再度建て替えられ、ルネッサンス様式の煉瓦造り2階建て、便所に大理石が使用されるなど西国一といわれた美しい駅舎が完成しました。東京駅の設計者である辰野金吾氏も博多駅を絶賛したというエピソードもあるそうです。

つばめの杜広場を紹介する記事「博多駅屋上は見晴らし最良の展望台!鉄道神社や旧博多駅の柱、電車も見れる屋上庭園

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旧博多駅ホームの支柱。JR博多シティ屋上つばめの杜広場にて撮影。

そういえば、明治時代の姿をそのままとどめている門司港駅が最近話題になっていますが、あの駅は凄く美しくて歴史を重ねた本物だけが持つ風格というか気品がありますよね。

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門司港駅(改修前)記事執筆時は創建当初の姿へ復元工事中。旧陸軍の監視窓など、歴史を物語る設備が今もそのまま残っています。

本来なら博多にもあのような素晴らしい駅が残っていたんです、街のど真ん中に昭和の半ばまで。今は壊してしまってパチンコ屋があったり、どこにでもあるようなビルになってしまいましたけど。

なんとももったいないお話ですけど、福岡市って簡単に古い物を壊しますからね、中世からの遺構がそのまま残っていた大水道、寿通りをリバレインや博多座にしたり。福岡は都会の表面的な美しさを必死で追いかける、いわゆるミーハーな地方都市になっているのが残念です。本来なら歴史の重みに裏打ちされた、美しい街になれたはずなのに。

古いものを残すのは大変なのでしょう、だからこそ守り残されたものには価値がある。

「やぐら横丁」今も残る駅前の小路

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旧博多駅前の繁華街だったやぐら横丁

祇園にあった博多駅の駅舎は失われてしまいましたが、今でも当時の様子を今に伝える街並みは僅かですが残っています。そんな中で最も当時の姿を色濃く残しているのが「やぐら横丁」と名付けられた細い路地。

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昭和36年の地図にも記された「やぐら横丁」

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当時の航空写真(画像:国土地理院)

地図や写真を見てもバッチリその存在が確認できます。さらにこの細い路地は新しく街並みが生まれ変わっていく中で、今でも当時の姿をよく留めている場所なんです。

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この辺りは旅館が軒を連ねていたのでしょうか。

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この建物は入り口を見れば一目瞭然、一丸という旅館です。今も営業しているのかどうか…どうなんでしょ。

やぐら横丁はかつて矢倉門町と呼ばれた地域にあり、博多駅前の繁華街の一角として旅館などが立ち並んだ場所だったようです。新幹線がなかった時代に、九州各地と本州とを結びつけるターミナル駅であった博多駅。いまよりずっと移動に時間がかかっていた頃ですから、駅周辺には旅行客が泊まれる旅館が数多く建ち並んでいたのでしょう。

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昭和レトロな建物群。

博多駅があった当時のまま残る建物、現在もテナントが入居していてバッチリ営業中です。旅館があれば食事や買い物をする人も多く訪れるわけで、とうぜん周りにお店が集まります。

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周りを高いビルに囲まれ、ここだけ時間が止まったような空間。

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やぐら横丁から大通り側、博多駅に面していた建物群。

矢倉横丁から区画をまたいで大通り側、かつて博多駅前の通りに面していたであろう建物。目の前には濃厚豚骨ラーメンで有名な一双があり、そのままテナントが続いています。当時もこのように飲食店などが立ち並んでいたのでしょう。

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古そうな連棟のテナントと、レトロなビル。

やぐら横丁の大通り側に出てみると、かなり古そうなビルが建っています。構造からみて昭和20年代後半から30年代前半頃に立てられたのではないかと思われます。ほかのテナントも歴史のありそうな建物が並んでいて、往時の賑わいを今に伝えています。

各所に残る賑わいの跡

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祇園に残るレトロな建物「ミトク薬局」

開発が進み、旧博多駅がここにあったという痕跡は一部を残して殆ど失われてしまった祇園。しかしまだ所々に古い建物が残されていて、この町が博多の中心として賑わっていた頃の面影を今に伝えています。

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繁華街と言えばサウナ、今も残る「サウナ祇園」の建物。(閉店しました)

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サウナの入り口横にはアパートメントへの入り口がありました。これも時代を感じさせる昭和レトロな風景。(現在は封鎖されています)

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サウナ祇園の後ろには古いアパートメント。

このアパートは古い鉄筋コンクリート製で、建築当時は駅前の一等地にある最新のアパートだったのでしょう。

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周りの建物はほとんどが新しいものに建て替わっていますが、サウナ祇園が一軒あるだけでグッと昭和っぽい雰囲気になっています。ただこのサウナ祇園、既に閉店していて奥のアパートへの入り口も封鎖されています。いずれ壊されてしまうのでしょう、寂しい限りです。

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戦前から祇園で営業している二葉食堂。

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この一角もレトロな面影を残す昭和の風景。

通りに面した部分をタイル張り、その裏はトタンの外壁というレトロな建物。この並びも古い建物が並んでいて、二葉食堂は戦前から祇園で営業している老舗の食堂。博多駅の博多めん街道にある二葉亭は、この食堂が運営しています。

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二葉食堂のカツ丼

お店はリニューアルしているのか比較的新しくなっていますが、ここで出されるカツ丼は昔ながらの味。今風の半熟にしたり、何か拘ったり、そんな細かい事は置いといて、ドーンとカツをのせた直球ストレートなビジュアル。

二葉食堂のレポート記事「「二葉食堂」博多祇園に戦前からある旧博多駅前の老舗大衆食堂

かつては博多駅前の繁華街として大いににぎわった祇園、いま改めて歩いてみると、かつての繁栄を感じさせつつも、どこか少し寂しいような哀愁を纏った街並みが続いています。これこそが寂びの風景、なんだか心にジーンとくる街でした。



博多駅移転で分断された博多と天神

かつて博多駅は今よりも天神に近く、また中洲を通り抜けた先にある天神中央公園に福岡県庁がありました。この事は大きな人の流れを生み、博多駅から上川端、中洲、天神と連続する巨大な繁華街を形成していました。しかし博多駅の移転、県庁も千代というもっと東の地へと移転し、それぞれの距離が離れてしまったために博多は博多、天神は天神と町は分断され、祇園・川端界隈の賑わいは失われてしまいました。


旧博多駅、旧福岡県庁、天神駅との位置関係。画像:Googleマップ

博多駅の移転と共に急激に衰退した祇園界隈とは対照的に、新しく博多駅ができた場所、現在の博多駅周辺は地価高騰によって大騒ぎになったそうです。諸行無常といいますが、駅と共に暮らしていた人々にとっては晴天の霹靂、大変な苦労があったと思われます。

古代より続く港町である博多、古くから町の中心であり続けた祇園とその周辺地域。今はただ往時の繁栄を伺わせる僅かな痕跡と共に、古き良き時代の面影を今に伝えています。

今後は市営地下鉄七隈線の延伸によって、天神からキャナルシティ博多のある住吉、そして現在の博多駅が結ばれます。これからどのように街が変化していくのか、注目しながら見守っていきたい地域。ただ一つだけ願う事があるとするならば、古い建物を大切に生かす方法はないものか、昭和の建物たちがもう少し高く評価され、今も残るレトロな街並みが少しでも長く存続して欲しい。

まあ土地の所有者などにとっては、古いとか昔の遺構だとかは迷惑以外の何物でもないと分かっているんですけどね、これでも元不動産屋ですから。守るには地域の協力が必要ですけども…福岡でそれを期待するのは無理っぽいですね。

関連記事:旧博多駅前の面影を今に残すレトロな横丁

 

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