昭和の世代ならば大きなアーケード商店街といえば、何かしら思い出の一つや二つあるのではないでしょうか。筆者の思い出に残る商店街といえば大阪京橋の商店街。母親の実家が京橋にあるため、よく預けられていたんですよね。祖母に連れられて商店街を歩けば、お菓子やおもちゃを買って貰え、さらにゲームで遊ばせてくれた。いつもの惣菜屋の優しいオッチャン、大好物のメンチカツを50円で買って、食べながら歩いた商店街。あのこのろワクワクは今も心の隅に残っていて、こういうアーケードを見ると自然と楽しい気分になってきます。まあ最近の若者はイオンとかになるのかもしれないけど…あれは現代版の商店街だろうね。
今回訪れたのは博多を代表する商店街、見ただけで胸がときめくようなアーケード。けどね、お店を個別に見てみると普通の商店街とはちょっと違う。
ここは川端商店街、その立地ゆえなのか、一風変わった雰囲気のアーケード商店街を歩いてみました。
「川端商店街」観光客で賑わう二つのアーケード
川端商店街の北側、川端通商店街の入り口。
明治通りを挟んで向かいに建つ博多リバレイン。
福岡に住む人もよそから来る人も川端商店街で通じると思うんですけどね、実はココ、二つの商店街からなっているアーケード商店街なんです。まず最初にスタート地点としてやってきたのは二つの商店街の一つめ、川端通商店街の入り口。川端商店街の北側、福岡市の中心部を東西に貫く明治通りという大通り沿い。目の前にはアジア美術館で有名な博多リバレインがあります。
南側は上川端商店街、繋がってるから一つの商店街に見えるんですよね。そもそも利用者が区別する必要はないけど。
とりあえずその都度言い換えるとややこしいので、基本的に川端商店街とまとめて呼ばせてもらいます。
入り口脇に建つ川上音二郎の銅像。
川端通商店街の入り口脇には、明治時代に活躍した興行師である川上音二郎の銅像。どんな人なのか知らなかったので、軽く調べてみると福岡藩士の子として福岡に生まれたものの14歳で大阪、さらに東京へと出ていったようです。東京、大阪を中心に活躍し、アメリカ、イギリス、フランスにまで進出し活躍した偉大な人物。明治時代のことだからね、欧米ならまだしも、辺境のアジアから海外へ渡航するなんてただ事じゃなかった時代ですよ。
川端商店街の玄関口、市営地下鉄中洲川端駅。福岡市内の大動脈、地下鉄空港線の駅は川端通商店街にあります。
やはり移動は地下鉄が圧倒的に楽だと思うんだけどどうなんだろ、福岡市内はバスも充実しすぎてるから便利と言えば便利なんだけど。ただバスは馴れてないと乗り場がわからなかったり、とにかく複雑なんですよ渋滞するしダイヤも正確じゃないし。福岡なんてコンパクトな街なんだから、路面電車を復活させればいいのに。道路の車線を潰して、あえて自動車が中心部に入ってきにくい街にするのもイイと思いますよ。観光客に優しい街を目指すなら。
普通の商店街とはチョット趣が違う
地下鉄駅から出ると、目の前に仏壇店。
川端通商店街、アーケード内の様子。
立派というか豪華な外観、こちらも仏壇や仏具を扱うお店。
店頭にはおみくじと縁結び童子という可愛い像が建っています。
地下鉄の駅から商店街に出てくると、いきなり目の前に仏壇店がドーン!
さらに歩いていてもドーン、ドーンという感じ。もともと川端商店街の脇には大乗寺という、鎌倉幕府が設置した鎮西探題の菩提寺があったんです。今はもうありませんが。商店街を抜けた先には萬行寺という大きなお寺もあるし、他にも寺院がちらほら。少し歩くと寺町で有名な御供所町ですから、こうやって集中するのも分かる気がする。
川端商店街の名物にもなっている提灯やさん。明治28年の創業、職人さんが作る本物の手作り提灯です。
おぉう、こんな所に銃砲店。元自衛官なので多少は扱いに慣れておりますが…主に自動拳銃と自動小銃だけどね。
しばらく歩くとドーンと開けた交差点。ここが川端通商店街と上川端商店街の境目です。
ここまで歩いただけでも何だか普通の商店街と違う、ここは街中の中心地にあると同時に中洲という歓楽街や寺町に隣接しているために、〇〇の台所的な生活を支える商店街とは少し趣が違います。
交差点から右を見て、正面の黄色いビルや緑のビルは既に中洲。橋を渡ってスグなのです。
なのでこういうドレス的な服を売るお店もあり
花屋さんの品揃えも、なんだか普通の商店街と違うような気がする。開店祝いに使いそうな蘭が目立つよね。
マンションにも地下街があったり。
降りてみると…やっぱ昼間は営業してないよね。
川端商店街は立地的な関係からか、夜の街っぽい雰囲気も内包した商店街。ちょっとだけアウトローな雰囲気もあったりする、それが観光客にウケるのかな。
川端でお伊勢参り、川端大神宮
伊勢大神宮より勧請したと伝わる川端大神宮。
川端通商店街と上川端商店街を分ける交差点、右に行くと目に前は中洲、左に曲がって最初の小路を更に左折。すると小さな社があるんですが、なんとここはお伊勢さん、天照大神が鎮座する大神宮。
大神宮というのは、祭神が伊勢の大神宮と同じ天照大神又は豊受大神を祭神とする神社を指す社号。見た目は小くても立派なお伊勢さん、大神宮なのです。
川端大神宮にあった由緒書き。
ここに大神宮ができたのは江戸時代のこと。もともとこの場所には旅人問屋と呼ばれる旅人向けの職業斡旋所があり、その庭の一角に祭祀されていた神社のようです。
由緒に書かれている桜田屋が人を斡旋した「松ばやし」とは、現在の博多どんたくの元になったお祭りのこと。このあたりは博多の旧市街だけに、こんな場所にも歴史スポットがありました。
川端大神宮の横に建つレトロなマンション「冷泉荘」
三丁目の夕日なんかの時代でしょうかね、2017年時点で築58年とのこと。
古い建物だと侮っていると、実は最先端を行くオシャレビルだったりする。
部屋の窓先には看板の数々…すげぇ。
川端大神宮のとなりには、とてもレトロなビル「冷泉荘」があります。昔ながらの武骨なデザイン、重厚感溢れる鉄筋コンクリート製。古いビルなんだけれども、中にはギャラリーなどが入居していて「リノベーションミュージアム」としてイベントや様々な地域活動の拠点となっています。
冷泉荘公式サイト⇒http://www.reizensou.com/
他にも川端商店街界隈は古くから栄えた博多の中心地、福岡最古の鉄筋コンクリートマンション「店屋町ビル」や二番目古く、闇市から発展したといわれる「祇園マーケット」などもあります。
店屋町ビルの外観。
店屋町ビルの記事⇒https://haka-ten.com/998/
祇園マーケット。
祇園マーケットの記事⇒https://haka-ten.com/805/
博多の下町だけに古い町並みというか古い建物なども残っているし、櫛田神社もすぐ近く。川端商店街は観光の拠点として、文化の発信地として、なんだかんだで今でも博多の中心的役割を果たしている場所なのですね。
個性的なグルメも充実
金、土、日、祝日とイベント開催時にオープンする川端ぜんざい広場。
本格的な沖縄特産品が揃う「わした博多店」
博多なのに味噌ラーメン?行列ができる味噌ラーメンの人気店「どさんこ」
半島からの観光客にも大人気、一杯290円激安ラーメンの「はかたや」
川端商店街は観光ルートとして有名なだけに、個性的なグルメを味わえるお店も充実。川端ぜんざいはとにかく甘い、遠方から食べにくる人もいるくらいの博多名物。
たくあんが添えられた川端ぜんざい。
川端ぜんざいのレポート記事⇒https://haka-ten.com/2776/
焼カレー発祥の店、カリー本舗。
今では当たり前にみられるようになった焼カレー。その発祥が川端商店街だということは、地元でも知る人が少ない豆知識。北九州の門司が焼カレーの本場だと思っていたら、発祥はこの店だったのですね。
昭和30年頃に誕生し、当時のまま受け継がれている焼カレー「昔の焼カレー」
焼カレーの誕生は、自宅で母親が余ったカレーをオーブンで焼いて出していたのが起源だったという衝撃の事実。焼カレーといえば香ばしい焦げたチーズというイメージがあるけども、当初はチーズをのせる予定は無かったのだとか。
レポート記事のコメント
とにかく味が濃厚でまろやか、本当に美味しいカレー。今から約70年くらい前に生まれた元祖の味、ぜひ一度は味わってもらいたいですね。
カリー本舗の紹介記事⇒https://haka-ten.com/4919/
博多地鶏の専門店「福栄組合」
博多で有名な鶏肉と言えば華味鳥やみつせ鳥などいくつかの候補が浮かんでくると思うのだけど、地鶏と呼べるのは一つだけ。それが「博多地鶏」です。
ここ福栄組合はそんな貴重な博多地鶏の専門店。
博多地鶏の複数の部位を楽しめる「ひつまぶし丼」
レポート記事のコメント
はかた地鶏を食べたのは初めてなんだけど、やっぱ本物の地鶏は美味しいですね。福岡に住んでいながら地元で育った地鶏の味を知らないというのはもったいない、ぜひ食べてもらいたい味。
福栄組合の紹介記事⇒https://haka-ten.com/4175/
ここで紹介するのはほんの一部なんだけれども、博多名物である水炊きや博多ラーメン、港町博多ならではの海鮮料理のお店などグルメに関しては圧倒的な充実度。キャナルシティ博多や櫛田神社に行くことがあったなら、川端商店街で食事をするのもいいかもしれない。
歴史上の大事件の舞台でもあります
鎌倉時代に整備された城郭都市博多、西の入り口である櫛田口と思われる地点。
古代より貿易港として栄えた博多、何度か外国からの侵攻を受けています。中でも最も有名で最大規模の攻撃を受けたのが元寇、朝鮮の高麗と中国大陸の元、この連合軍から攻撃を受けた事件です。教科書などでも習うので知っている人も多いと思いですよね。
元寇当時、日本を実質的に統治していたのは武家政権である鎌倉幕府。文永の役と呼ばれた最初の侵攻後、鎌倉幕府は博多を防衛するために城郭都市として大規模な整備事業を開始。その際に鎮西探題という九州の軍事と政治を司る幕府の統治機関が設置されました。探題が設置されたのは近畿地方を統括する京都の六波羅探題、そして九州の鎮西探題の二ヵ所のみ。鎌倉幕府がいかに博多を重要視していたか分かるというものです。
まだ中洲が無かったころ、川端商店街の横は櫛田浜とよばれた浜辺でした。
博多の町は何度か戦火に見舞われているのですが、ほとんど記録が残っていません。そんな中で記録に残っている有名な戦いに「博多合戦」があります。博多合戦は鎌倉時代末期、まさに鎌倉幕府が倒れようとしていた幕末に発生した戦い。
肥後の豪族である菊池氏が幕府の拠点であった鎮西探題を攻撃した戦いです。中世博多史研究で筆者が参考にさせていただいている佐藤鉄太郎氏の著書「元寇後の城郭都市博多」によると、菊池軍はこの櫛田浜に集結し櫛田神社の脇にある櫛田口から鎮西探題に攻め込みました。
櫛田神社にある博多合戦を紹介する看板。一番下の菊池武時公奮戦の地というのがそれです。
今は川端商店街になっているこの場所から、櫛田神社の脇にあった櫛田口を破って鎮西探題に向けて攻撃を開始。探題御所と間違えて櫛田神社に放火し全焼させるなど、博多の町に大きな傷跡を残した戦い。菊池氏は探題御所内まで攻め込み奮戦しますが、援軍を得られず敗戦しました。
博多合戦を紹介する記事⇒https://haka-ten.com/4244/
博多の魅力を伝える商店街
川端商店街の南側入り口、上川端商店街のアーケード。
川端商店街自体に観光地としての魅力があるかと聞かれると微妙なんですが、この商店街を中心にして博多の見どころが沢山あります。例えば櫛田神社は川端商店街に隣接していて、南側のアーケードを出てすぐ目の前に門があります。さらに福岡で2番目に古い鉄筋コンクリート製の共同住宅、戦後闇市の末裔とも言われる祇園マーケットも南側アーケードの前。
昭和の面影を残すレトロな街並みが残っていたり、川を挟んで対岸には九州最大の歓楽街である中洲。さらにアジア圏からの観光客に人気のキャナルシティ博多へは、最寄り駅である中洲川端駅から徒歩で向かう連絡通路のような役割も果たしています。
そのためか通常の地域の台所的な庶民的の商店街ではなく、お土産店とグルメスポットが充実した観光寄りの商店街になっています。川端商店街は観光エリアを接続するターミナル的な商店街、博多の街歩きを楽しむ最初のスタート地点として最適な場所です。筆者も福岡に来たばかりの頃、博多の歴史に興味を持つきっかけになったのがこの場所。
博多初心者におススメの場所、観光の際にはぜひ訪れてみてください。
「川端商店街」
住所:福岡市博多区上川端町
※この記事は私が訪れた時のものです、現状と異なる場合があります。最新情報、詳細はご自身で確認することをおすすめします。
川端通商店街公式サイト⇒https://kawabatadori.com/
上川端商店街公式サイト⇒http://www.hakata.or.jp/
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